東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区松が谷2-3-3 (聖徳寺) 庄右衛門・清右衛門の兄弟は、玉川上水開削工事の請負者で、江戸の町人と言われているがその出身地は明らかではない。玉川上水の開削工事は、4代将軍家綱の承応2年(1653)1月13日に幕命が下り、2月11日に着工された。工事費として幕府から7500両が下賜されたという。 羽村から四谷大木戸に至る43キロの導水部は、承応3年(1654)6月20日に完成した。其の後給水地域は順次拡大され、江戸城内をはじめ四谷・麹町・赤坂の高台などの山の手から、芝・京橋方面に及んでいる。現存する玉川上水は、江戸時代初期の土木技術の水準を今日に伝える貴重な文化財である。 近世都市江戸の水道施設建設の功績により、兄弟は200石の扶持を賜り、玉川上水役に任ぜられた。また玉川という名字を与えられ、帯刀も許された。兄の庄右衛門は元禄8年(1695)に、弟の清右衛門は翌年の元禄9年(1696)に死去した。明治44年(1911)政府は、玉川兄弟の功績に対して従五位を追贈した。 平成3年(1991)10月31日 東京都教育委員会 玉川氏兄弟墓碣復興記念碑 東京市水道玉川上水ノ創設者贈従五位玉川庄右衛門同玉川清右衛門兄弟両氏ハ距今二百八十餘年■元年幕府ノ命ヲ■ケテ水道開設ノ事ヲ督セル江戸町奉行神尾備前守ノ推挙ニ依リ江戸府中ニ上水導引ノ計晝ヲ命セラルルヤ全力ヲ盡シテ其ノ堪能ナル水理ヲ究明シ鋭意調査ノ結果武州羽村ヨリ多摩川ノ水ヲ取入レ江戸四谷大木戸迄導水スヘキ計ヲ樹テタリ幕府ハ大ニ之ヲ喜ヒ両氏ニ其ノ工事ヲ掌ラシメ翌二年四月四日水路■鑿ノ工ヲ起シ同年十一月十五日完成ス是レ即チ玉川上水路ナリ而シテ文化未タ進マサリシ當時ニ在リテハ測量器械ンカリシ為路線ノ位置高低等ハ線香ト提燈ノ火光ヲ利用シ専ら夜間ニ測定し又工事ハ高井戸村附近近ニ至リ工費ニ不足ヲ來シタルヲ以テ遂ニ家産ヲ投シテ之ヲ続行シタリト云フガ如キ其ノ献身的ノ努力ト犠牲的ノ苦心ハ蓋シ想像ノ及ハサル所ナルヘシ宣ナル哉幕府ハ深ク両氏ノ功ヲ賞シ各禄二百石ト玉川ノ姓ヲ賜ハリ上水役ヲ命シタリ 爾来多摩ノ清水ハ■々トシテ市中ニ脈流シ五郡八十四箇町村ヲ併合シテ大東京ノ殷賑ヲ見ルニ至リタル今日ニ於テモ尚大部分ノ地域ニ封シ給水能力ヲ発揮スル多摩川水系隨一ノ淵源トシテ依然活用セラレ帝都ノ繁栄ヲ養フテ其ノ惠千載ニ亡ヒス 畏クモ明治四十四年六月一日兄弟ノ勲功ヲ思召サレ特ニ従五位ヲ追贈セラル両氏ノ餘榮亦大ナリト賜フヘシ今茲玉川兄弟墓碑復興後援會ハ塋域ノ改築竝墓碣ノ復興成ルト共ニ墓側ニ記念碑ヲ建テ以て兄弟両氏の功績を不朽に傳ヘムトス寔ニ近代ノ美舉ナリ乃チ其ノ請ヲ諾シ略叙スルコト此ノ如シ 昭和十二年丁丑春三月 水道研究會理事長 井上秀二 題額 水道研究會理事 大堀佐内 撰書 PR |
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