東京都台東区の歴史
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推古天皇36年(628年)、桧前の浜成・竹成兄弟は隅田川で浅草観音の像(浅草寺の本尊)を網で拾い上げた人物、真中知はその像を安置して浅草寺(せんそうじ)を創建したと伝えられる。
浅草寺域内には次のものがあります。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺) 「柏板(びんざさら)」 都指定無形民俗文化財 <御祭神> 土師真中知命(はじのまつちのみこと) 桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと) 桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと) 東照宮(権現様、徳川家康)
浅草神社境内には『河竹黙阿弥顕彰碑』、『久保田万太郎句碑』、『初代花柳壽輔句碑』、『初代市川猿翁句碑』、『初代中村吉右衛門句碑』、『粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)』、『扇塚』、『神木『槐』の木』、『川口松太郎句碑』、『花塚』、『『友情はいつも宝物』碑』、『檜前の馬牧』があります。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
宝暦11年(1761)、浅草寺信徒1,000人によって建立され、明治40年(1907)に改修再建されたもの。唐銅製。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) いつも宝物
昭和51年(1976)に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。物語の舞台となるここ浅草は主人公である両津勘吉を育み、また多くの感動を生み出してきました。この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなみ、人を思いやる気持ちの大切さ、そして子供たちが夢や遊び心を忘れず健全に成長してくれるよう願いを込めて建てられました。 < 「浅草物語」概略 > ある日、浅草で一緒に遊んだ同級生が偶然再会。 かつての悪ガキ両津勘吉は警察官に、 かつての優等生は、逃亡犯になっていました。 両津は、子供の頃にここ浅草神社(三社様)の神木、 槐(えんじゅ)の木の下に一緒に埋めた ベーゴマの話を持ち出して二人の友情を確かめ合いました。 そして、逃亡犯は自首することになったのです。 ジャンプ・コミックス「こちら葛飾区亀有公園前派出所」57巻「浅草物語の巻」より
< 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」 > 作者 秋本治 連載開始 1976年週刊少年ジャンプ(集英社)
< 両津勘吉 > 職業 警察官(巡査長) 誕生日 3月3日 出身地 東京都台東区千束 身長 約162cm 体重 約71kg 特技 自転車乗り
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社)
大宝元年(701)、大宝律令で厩牧令が出され、全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が39ヶ所と、皇室に馬を供給するため、天皇の命により32ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置されました。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
淡島堂は、元禄年間(1688~1703)紀伊国(現在の和歌山県)の加太神社を勘請したものである。加太神社は、淡島と呼ぶ小島に鎮座し、淡島明神の俗称があるため、この堂も淡島堂と呼ばれている。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、堂内には両手で宝珠を持つ坐形の神像を安置する。
<和歌山加太之淡島明神勧請 淡島大明神>
<白木聖観世音菩薩>
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山) 元禄時代の歌人。はじめは渡辺氏を称し、のち戸田茂睡に改めた。名は馮(たのむ)、のちに恭光(ゆきみつ)、通称は茂右衛門。寒露軒などと号していた。徳川氏の家臣渡辺忠の第6男として、寛永6年(1629)5月19日に生まれた。その後は那須黒羽で暮らし、のち本多政長に仕えて300石を給されていた。延宝年間の末に致仕し浅草寺の近くに居をかまえ、「梨本集」を著して和歌の制の無用を説き、世に詠歌の派を立てた。宝永3年(1706)4月14日、年78で没した。「紫の一本」「御當代記」「隠家百首」「鳥の迹」などの作品がある。なお
塵の世を いとふ心の 積りては
とよみ、隠れ家の茂睡と時の人々に呼ばれていた。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山) 花の雲 鐘は上野か 浅草か 芭蕉 ゆく水や 何にとどまる のりの味 其角
<西山宗因(にしやまそういん)>
<松尾芭蕉(まつおばしょう)>
<榎本其角(えのもときかく)>
碑は文化6年(1809)の建立。台石には明治27年春(1894)の移築の由来が記されている。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺) < 建設委員 > 台東区長 上條貢 台東区助役 金津武夫 台東区収入役 鈴木義尚 台東区議会議長 永森久吉 上野信用金庫理事長 長野高一 浅草観光連盟会長 大谷米太郎 金龍山浅草寺貫主 清水谷恭順 常盤堂雷おこし本舗社長 穂刈恒一 雲の像寄付者 朝倉響子 公園協会理事長 井下清
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺) 花の雲 鐘は上野か 浅草か
は、あまりにも著名である。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
くわんをんの いらか見やりつ 花の雲
俳諧紀行文『奥の細道』などを著した松雄芭蕉は、寛永21年(1644)伊賀上野(現、三重県上野市)に生まれた。
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
<建碑>
<添田知道>
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
はとポッポ はとポッポ 鳩ポッポの歌碑 作詞 東くめ 作曲 滝廉太郎
この詩は日本中の多くの人々に親しまれている日本の代表的な童謡の一つです 東くめ女史が明治34年(1901)に観音さまの境内に於て鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまま歌によまれたものであります 歌碑を建つるにあたりまして朝倉文夫先生から鳩五に題字を寄せられましたくめは作曲者滝廉太郎先生と同卸旧■の源いゆかりに係る洵にうるわしい御協賛でありました 鳩は平和の象徴です そのためにもこの碑は永久に偲存いたしたいものであります
所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺) |
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