東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区東浅草2-16-1 駿馬塚 駿馬塚は、平安時代の康平年間(1058~1064)源義家が陸奥へ向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し、これを葬った所と伝えている。 現存する塚は、明治28年(1895)造立の石碑や石造層塔の一部を遺すのみだが、天保7年(1836)刊行の『江戸名所図会』には左の挿絵を載せており、江戸時代後期には土饅頭型の塚や「駿馬塚」と書した石碑が建っていたようである。 現在、付近の人々はこの塚を「馬頭観音」と呼び、覆屋等を設けて大切に守っている。 平成10年(1998)3月 台東区教育委員会 MOUND OF THE FLEET STEED This mound is said to be the grave of the beloved horse of the 11th Century samurai Minamoto no Yoshiie who passed here on his way to an expedition to the Tohoku region. In an illustration from an early 19th Century book,the mound is introduced in this light,and at also provides us with glimpses of the lifestyle of that period. Presently the mound is carefully preserved through the eddorts of the people in the neighborhood. 所在地 台東区東浅草2-12-13 (東禅寺) 東京都指定有形文化財(彫刻) 銅造地蔵菩薩坐像 大正14年(1925)5月指定 昭和45年(1970)8月3日名称変更 江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して造立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは2.71メートル、品川寺に次いで第2番の宝永7年(1710)に造立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成11年(1999)に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像等が現存する。 なお、江戸六地蔵は次のとおりである。 品川寺 品川区南品川3丁目 太宗寺 新宿区新宿2丁目 真性寺 豊島区巣鴨3丁目 霊巌寺 江東区白河1丁目 永代寺 江東区(消滅) 東京都文化財保護条例(昭和51年〔1976〕3月31日改正)により文化財指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えてください。 平成14年(2002)3月29日 東京都教育委員会 所在地 台東区東浅草2-12-13 (東禅寺)
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