所在地 台東区東浅草2-12-13 (東禅寺)
麺麭祖の由来
木村安兵衛翁は文化の末年(一八一七年)下総国河内郡長岡又兵衛の次男に生まれ長して茨城県北相馬郡川原代村木村家に入り長女文女(ブナ)を娶り青年時青雲の志を抱いて江戸に出て藤堂藩に仕官市内見廻役御蔵番等の役についていた。
明治維新に際し太政官出仕授産場の長を勤めていた伯父木村重義氏より入所者中に元長崎オランダ家敷にてパンの製法を習得した梅吉なる者の推薦を受けパン食の将来を先見し直ちに同氏を起用し明治二年(一八六九年)我国最初のパン店を東京芝日陰町に三男英三郎氏をして開業せしめたのである。
然るに創業時のハツプス種による食パンは当時の日本人には容易に受けいれられず経営も仲々困難を極めたが日夜克苦製品の研究に心血を注ぎ其間、初代英三郎氏四男儀四郎氏の協力を得て遂に明治六年(一八七三年)酒種酵母菌による日本独特のアンパンを考案したところ偶々日本人の嗜好に合致し怱ちその名声を博しえに依り我国にパン食普及の基を造ったのである。
爾来九十年代々門下の指導養成に勉め木村家の名はパン屋の代名詞とまで云われる迄に至った。
又文女(ブナ)は終始翁を扶けて創業時の苦難に堪え明治二十二年(一八八九年)翁の没後も克くその家名を保つと共に斯業の発展を図り明治三十年(一八九七年)四男儀四郎氏の継承を得て天寿を全うしたのである。
今度六代目総本店当主木村栄一氏によって始祖御夫妻の記念像再建せらるるに当り始祖の偉業は我々木村家一門の亀鑑として感銘深きは勿論広く業界後進の指針として永くその御遺徳を偲び此の碑文を刻んで茲に顕彰する次第である。
昭和三十四年五月九日
東京銀座木村家睦会
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