東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区根岸2-5-11 子規庵 正岡子規(1867~1902)は俳人・歌人・随筆家。幼名は升(のぼる)。本名は常規(つねのり)、別号を獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)、竹の里人などといった。伊予国藤原新町(現・愛媛県松山市)に生まれ、俳句・短歌の革新を唱え、また写生文を提唱した。 新聞「日本」及び俳誌「ホトトギス」により活動、子規庵での句会には森鴎外、夏目漱石も訪れ、歌会には伊藤左千夫、長塚節等が参加、歌誌「アララギ」の源流となる。 著書には、俳論『俳諧大要』『俳人蕪村』、歌論『歌よみに与ふる書』、歌集『竹の里歌』、随筆『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』など多い。 子規はこの場所に明治27年(1894)2月から住み、明治35年(1902)9月19日病のため没す。母八重、妹律は子規没後もここに居住し、其の後は子規の門弟寒川鼠骨が庵を守りつづけた。 昭和20年(1945)戦災によって平屋造り家屋は焼失したが、昭和25年(1950)鼠骨らにより旧規の通り再建され現在に至っている。 史跡に指定されている土地の面積は405.6平方メートル。 平成12年(2000)3月設置 東京都教育委員会 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|