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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区根岸2-19-10 (薬師寺) 

御隠殿跡
 輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の各山主を兼帯したので「三山管領宮」とも呼ばれ、第3世から幕末の第15世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承されてきた。当地は、この輪王寺宮の別邸「御隠殿」があった所である。



 御隠殿の創建年代は明らかではないが、幕府編纂の絵図『御府内沿革図書』には、宝暦3年(1753)7月に「百姓地四反一畝」を買い上げ、「御隠殿前芝地」としたという記述があり、同年までには建造されていたようである。
 敷地はおよそ三千数百坪、入谷田圃の展望と老松の林に包まれた池をもつ優雅な庭園で、ことにここから眺める月は美しかったと言われている。
 輪王寺宮は1年の内9ヶ月は上野に常在していたので、その時は寛永寺本坊(現、東京国立博物館構内)で公務に就き、この御隠殿は休息の場として利用した。また、谷中7丁目と上野桜木2丁目境からJRの跨線橋へ至る御隠殿坂は、輪王寺宮が寛永寺と御隠殿を往復するために設けられたという。慶応4年(1868)5月、御隠殿は彰義隊の戦いによって焼失し、現在ではまったくその跡を留めていない。
 平成12年(2000)3月 台東区教育委員会



       The Site of Goinden
 The Head Priest of Kanei-ji temple was succeeded by princes or adopted sons of the Emperor from the 3rd to 15th generation priest.This person is called the "Rinnoujinomiya".(a prince of Rinnouji)
 The Goinden was built as the resting place for the Rinnoujinomiya.The period when it was constructed is not clearly known,but it is certain that it was built by the year 1753.The area of the site is over 10,000 square meters,with a garden surrounded by a pine forest.The view of the moon from here is said to be extremely beautiful.
 The Goinden was lost in the fires from the Ueno War in May of 1868.Presently,there are absolutely no traces of the old Goinden of that time.

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