東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区浅草橋4-16 医学館跡(都指定旧跡 旧躋寿館跡) 江戸幕府唯一の医学専門学校、医学館が清洲橋通りのこの地にあった。 明和2年(1765)、幕府奥医師多紀元孝が医師(漢方医)の教育のため、神田佐久間町に建てた私塾躋寿館から出発、寛政3年(1791)に、幕府が医師養成の重要性を認めて官立とし、医学館と改称、規模を拡大した。文化3年(1806)3月、大火に遭い焼失、文化3年(1806)4月に、前方の旧向柳原1丁目に移転、再建された。 敷地約7千平方メートル、代々多紀家がその監督に当たり、天保14年(1843)には寄宿舎を設け、全寮制として、広く一般からも入学を許可し、子弟育成をはかるなど、江戸時代後期から明治維新に至る日本の医学振興に貢献した。 平成7年(1995)3月 台東区教育委員会 RUINS OF IFAKUKAN AND SEIJUKAN (Metropolitan Historical Site) This was the site of "IGAKUKAN",the only medical school of the Shogunate Government installed at Edo.It was formerly a private medical school called SEIJUKAN. SEIJUKAN was founded by Taki Genko a Kanda Sakuma-cho to train physicians in the art of Chinese Government.The schoolburned down in March 1806.In the same year it was moved to this site of 7000㎡ and reconstructed.The school was supervised by the Taki family and greatly contributed to Japanese medical development during the latter Edo period until Meiji Restorarion. PR |
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永山
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