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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中7-10-10

  沢木道場(擇木道場)たくぼくどうじょう
 明治の初期、旧藩幕体制が崩壊して明治新体制になると、西洋の合理主義思想が急激に流入して来た結果、その行き過ぎから一時的に社会思想の混乱や思想の頽廃が興りました。国の将来を心配した山岡鉄舟、中江兆民らの先覚者有志は日本古来の伝統文化である「禅」に根ざした人材を養成する必要を痛感し、鎌倉円覚寺管長「今北洪川禅師」を拝請して、禅修行の会「両忘会」を創立しました。
 この会は一時途絶えていましたが、明治34年(1901)洪川禅師の法嗣である円覚寺管長「釈宗演老師」の命により、その法嗣の「両忘庵釈宗活老師」によって再興されました。両忘庵老師は師命を奉じて二度にわたる渡米伝道をはじめ、国内の社会人への居子禅の布教教化の為に、精力的な普及活動を展開されました。
 擇木道場は、大正4年(1915)に両忘会員の田中大綱居士が建立して、両忘庵釈宗活老師に捧げられた道場です。両忘庵老師はこの道場を拠点として居士禅を大いに挙揚して、多くの学者、産業人、役人などを摂化し有為の人材として世の中に送り出しました。その中には、女性も多く含まれていました。
  擇木道場は、それまで宗派の僧侶にしか許されていなかった「伝法」を、職業を持った社会人にも許すと云う居士禅の発祥の地であり、いずれの宗派にも属しない我が国最初の「居士禅専門道場」であります。
 両忘庵老師は、夏目漱石の小説「門」の中に主人公「宗助」が鎌倉の老師(釈宗演老師)に参禅した時、身の周りを世話した若い修行僧「釈宣道」として登場しております。また女性解放運動家「平塚らいてう」も両忘庵老師に参禅しております。



 擇木道場は、建築後77年を経て老朽化しましたので、平成4年(1992)に有志より浄財を募って改築されました。


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