東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区西浅草3-4-5 浅草教会は1886年(明治19年)頃、メソヂスト監督派教会の宣教により浅草美以教会として浅草三間町2番地(駒形橋西側のあたり)に設立されました。 その後、三筋町、芝崎町、聖天横町を経て、1903年(明治36年)に現在の地に移りました。 当時の会堂は築地外国人居留地にあった築地美以教会の街道を移築したもので、尖塔に鐘の付いたモダンな建物であったようです。 現在地での会堂は、第1次会堂が1905年(明治38年)日露戦争の講和条約締結に反対する暴徒により焼き討ちを受け全焼、第2次会堂が関東大震災により焼失、第3次会堂が東京大空襲により灰爐に帰しました。 戦後はコンセットハットで礼拝を守り続けていましたが、1951年(昭和26年)、第4次の会堂が献堂されました。 この会堂は大正期より運営されていた小百合幼稚園の園舎としても使用され、多くの卒業生を送り出しました。 現在の会堂は2004年(平成16年)1月に献堂されたもので、礼拝堂とともに納骨堂を備えたものになっています。 また、教会創立期から関東大震災に至るまで、台東区生涯学習センターの南側にあたる場所で、美以美尋常高等小学校を併設していました。小百合幼稚園は少子化の永享から1996年(平成8年)にその70余年にわたる歴史を閉じました。 現在は1941年(昭和16年)にプロテスタント・キリスト教各派が合同した成立した日本基督教団に所属する教会となっています。 教会創立120周年を記念して2006年8月15日設置 PR |
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永山
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