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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野桜木1-14-11 (寛永寺)
   
慈海僧正墓(都旧跡)
 墓石の正面中央に、聖観世音菩薩の像を彫り右側には「当山学頭第四世贈大僧正慈海」左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三世」、背面に「元禄6年癸酉二月十六日寂」と刻む。
 慈海僧正は、学徳をもって知られ、東叡山護国院、目黒不動尊、比叡山西塔宝園院、川越仙波喜多院を経て東叡山凌雲院に入った。東叡山は、寛永寺一山の山号で、一山を統轄、代表する学頭には凌雲院の住職が就任することを慣例としたという。学頭は、また門主・輪王寺宮の名代をつとめうる唯一の有資格者であり、学頭の名のとおり宮や一山の学問上の師でもあった。慈海版として知られる「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻の著作がある。
 寛永元年(1624)目黒で生誕。70歳で没した。没後、公弁法親王の奏請によって大僧正の暗いが贈られた。
 墓は、初め凌雲院内にあったが、昭和33年(1958)東京文化会館建設のため寛永寺に移った。
 平成4年(1992)11月  台東区教育委員会

            The Grave of Pruest Jikai 
 The Buddhist priest Jikai was born in Meguro in1624.Known for his learning and virtue,he spent time in a couple of monasteries before entering Ryoun-in Monastery on Mount Toei(now Ueno Park).
 It is said tha he deid at the age of 70 and his grave was originally in Ryoun-in but in 1958 due to the construction of the Tokyo Metropolitan Festival Hall on the site,his grave was moved to Kanei-ji Temple.

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