東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区雷門2-2 (区立駒形公園内) 都強度資料 浅草観音戒殺碑 総高183.5センチ。元禄5年(1692)浅草寺本尊が垂迹した霊地として、駒形堂の地を中心に南は諏訪町より、北は聖天岸にいたる10町余の川筋を魚介殺生禁断の地にした。このことを記念し、元禄6年(1693)3月浅草寺第4世宣存が願主となり建立したものである。 駒形堂はしばしば焼失しており、戒殺碑もいずれかの火災に際して倒壊しており、宝暦9年(1759)堂宇再建に伴い再び建てられたといわれる。現存の碑が当初のものであるか、再建のものであるかは詳かではないが、昭和2年(1927)5月に土中から発見、昭和8年(1933)修補再建されたものである。 昭和46年(1971)10月1日 東京都教育委員会 PR |
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永山
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