東京都台東区の歴史
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台東区有形文化財
江戸幕府15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)は大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻った。東征軍(官軍)や公家の間では、徳川家の処分が議論されたが、慶喜の一橋家時代の側近家来であった小川興郷(おきさと)達は、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居(ちっきょ)した慶喜の助命を求め、慶応4年(1868年)2月に同盟を結成、のちに彰義隊と称し、慶喜の水戸退隠後も徳川家霊廟の警護などを目的として上野山(東叡山寛永寺)にたてこもった。彰義隊には徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々で構成されていた。 PR |
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永山
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