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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区花川戸1-1 (隅田公園)

 隅田川渡船の1つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」は、隅田川に渡船を描き、「山ノ宿ノ渡、枕橋ノ渡トモ云」と記入している。位置は吾妻橋上流約250メートル。浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を、「山ノ宿町」といった。渡しの名はその町名をとって命名。別称は、東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。枕橋は墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。
 渡船創設年代は不明。枕橋上流隅田河岸は、江戸中期頃から墨堤と呼ばれ、行楽地として賑わった。桜の季節は特に人出が多く、山の宿の渡しはそれらの人を墨堤に運んだであろう。したがって、江戸中期以降開設とみなせるが、天明元年(1781)作「隅田川両岸一覧図絵」はこの渡しを描いていない。
 平成4年(1992)11月 台東区教育委員会

             Yamanoshuku no Watashi Ferry
 In the days when ferries crossed the Sumida River there was a ferry called the "Yamanoshuku no Watashi"(the word"watashi"means ferry).In a map printed in1907 ferry routes are shown,and "Yamanoshuku no Watashi",which was also known as "Makura-bashi no Watashi"is mentioned.The ferry route was approximately 250 metres upstream of Azuma-bashi Bridge and linked the river bank at Hanakawado with the Nakanogo Kawaramachi area.The name of the ferry is derived from the name of the destrict of Yamanoshuku which was to the west of the riverbank at Hanakawado.
 The alternative name is connected to the fact that the arrival point on the eastern bank of the river was at the approach to Makura-bashi Bridge.Makura-bashi Bridge stands near to the point where Kitajikken River from Sumida ward flows into the Sumida River. It is not clear when the ferry serving thisroute was started.
 From about the mid Edo period(around the 1890s),the bank of the Sumida River upstream of Makura-bashi Bridge was popular as a site for cherry blossom veiwing.
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所在地 台東区花川戸2-1 (隅田公園)

羽子板や 子はまぼろしの すみだ川
                                                  秋桜子

水原秋桜子 本名 豊   1892年 東京神田に生まる
東京帝国大学医学部卒   宮内省侍医寮御用掛
馬酔木主宰 日本芸術院会員 俳人協会会長 1981年没
      1988年10月8日 台東区 馬酔木風の会


所在地 台東区花川戸2-11-13 

  九品寺大仏
 境内の左側に建つ大きな仏像は銅造の阿弥陀如来坐像で、「九品寺大仏」の名で親しまれている。この坐像は、明暦3年(1657)の大火で亡くなった人々の菩提を弔うため、当寺第2世住職天誉が江戸市民から浄財を募って万治3年(1660)に造立した。蓮華座には、造立に協力した人々やその縁故者と思われる人物の戒名・法名などを刻む。作者の長谷川五郎兵衛尉益継は、万治から寛文年間(1658~1672)の頃に活躍した鋳物師のひとりで、遺品としては九品寺大仏を含め4点の仏像・梵鐘がある。
 また、かつて九品寺には平安朝の学者小野篁の作と伝える沓履地蔵尊(木造念持仏)が安置されていたが、関東大震災で焼失した。平成3年(1991)、当寺では文献に拠って沓履地蔵尊をほぼ等身大の大きさに復元し、大仏の向い側に再建した。履物の街花川戸にふさわしく、沓を履いている珍しい地蔵菩薩像である。
 平成4年(1992)11月 台東区教育委員会       

                                The Kuhon-ji Buddha
 The large statue of Buddha standing on the right hand side of the temple precincts is a seated image of the Amida Buddha in bronze.It is known as the "Kuhon-ji Daibutsu"(the Great Buddha of Kuhon-ji Temple).
 This statue was erected in 1660 as a memorial to those who deid in the great fire in Edo in 1657.It was Tenyo,the second chief priest of the temple,who collected votive offerings from the people of Edo to erect the statue.On the pedestal the names of people who contributed are engraved.
 The artist was Hasegawa Masutsugu,who was avtive from around 1658 to1672.



所在地 台東区花川戸2-4

  花川戸公園
 この花川戸公園は、昭和25年(1950)に台東区立の公園として開設され長く親しまれてきた。
 昭和62年度、花川戸公園は園内の歴史的事物を大切に譲りながら、未来の人々にも愛されつづけられる公園になるよう整備された。公園東側の池は、この地に伝わる一の塚伝説の舞台である姥ヶ池を、公園の修景に配慮して表したものである。また、広場に配置された模様や絵タイルは、台東区の代表的な自然池と、それに深く関わりながら人々によって育み見守られて来た文化的な事物を表わしている。
 公園内には『姥ヶ池跡』、『履物問屋街発祥の地碑』、『福壽稲荷大明神』、『助六歌碑』があります。


所在地 台東区花川戸2-4 (花川戸公園)

東京都指定旧跡
 姥ヶ池
     昭和14年(1939)12月指定


 姥ヶ池は、昔、隅田川に通じていた大池で、明治24年(1891)に埋立てられた。浅草寺の子院妙音院所蔵の石枕にまつわる伝説に次のようなものがある。
 昔、浅茅ヶ原あさじがはらの一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代りになって、天井から吊るした大石の下敷になって死ぬ。それを悲しんで悪行を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人はこれを姥ヶ池と呼んだ。
 平成8年(1996)3月8日建設 東京都教育委員会


所在地 台東区花川戸2-4  (花川戸公園)

碑面には 
助六に ゆかりの雲の 紫を 
 阿弥陀の利剣で 鬼は外なり
              団洲

の歌を刻む。9世市川団十郎が自作の歌を揮毫したもので「団洲」は団十郎の雅号である。
 歌碑は、明治12年(1879)9世市川団十郎が中心となり、日頃世話になっている日本橋の須永彦兵衛(通称榛彦)という人を顕彰して、彦兵衛の菩提寺仰願寺(現、清川1-4-6)に建立した。大正12年(1923)関東大震災で崩壊し、しばらくは土中に埋没していたが、後に発見、碑創建の際に世話役を務めた人物の子息により、この地に再造立された。台石に「花川戸鳶平治郎」、碑裏に「昭和33年(1958)秋再建 鳶花川戸桶田」と刻む。
 歌舞伎18番の1つ「助六」は、2代目市川団十郎が正徳3年(1713)に初演して以来代々の団十郎が伝えた。ちなみに、今日上演されている「助六所縁江戸桜」は、天保3年(1832)上演の台本である。助六の実像は不明だが、関東大震災まで浅草清川にあった易行院(現、足立区伊興町狭間870)に墓がある。
 平成11年(1999)3月 台東区教育委員会



                  BALLAD MONUMENT OF "SUKEROKU"
 The role of Sukeroku in the Kabuki play of the same name,which is one of the 18 classical pleces of Kabuki,has been played by the actors succeeding the name of Danjuro since Ichhikawa DanjuroⅡ played the role for the first time in 1713.
 The ballad momument was erected at the Koganji Temple in 1879 by DanjuroⅨ and other people in commemoration of a man called Sunaga Hikobei in Nihonbashi,who offered much back-up to DanjuroⅨ.
 It collapsed in the Great Earthquake of 1923 and was lerft buried for a long time.It was re-descovered,however, and was moved to this location thanks to the efforts of the sons of the caretakers at the time of the original erection of the monument.  


所在地 台東区花川戸2-4 (花川戸公園)

履物問屋街発祥碑
             内山栄一書

 浅草履正会協同組合(50音順)
理事長発起人 田中亨
発起人 青山古 飯田晴太郎 市原茂 大黒辰夫 河原啓介 郷精一 佐藤政男 清水秀雄 鈴木彌一 関口紀男 富永憲司郎 西村義郎 練木守 長谷川浩 八田眞利 早川栄三 原戸愼一郎 松岡利明 松村敬一 松村初江 矢吹龍夫 山本衛 吉岡暢久 
組合員 青木由美子 安達実 居波計夫 井村睦己 牛山博正 海老原守 大泉芳雄 大田原敬司 奥木健之亮 片岡輝治 金井利夫 川瀬香津美 木田登久子 杵渕三郎 小林義三 小鷲正俊 皿澤勇 清水重男 清水政男 清水八十吉 染谷忠太郎 高橋弘 田口勝男 辰巳壽平 壺川美知雄 中信夫 夏目仁 西村竹次郎 丹羽昇吉 貫名龍之助 根津善重 野地務 原戸誠二 藤沢武雄 藤平康吉 細島秀治 前田新蔵 町田聰明 松村孝 向山浩直 安田新作 安田隆 山口芳孝 山梨不二男 吉田清房
 先人の偉業を顕彰 建立  平成2年(1990)6月5日 




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