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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区花川戸2-4  (花川戸公園)

碑面には 
助六に ゆかりの雲の 紫を 
 阿弥陀の利剣で 鬼は外なり
              団洲

の歌を刻む。9世市川団十郎が自作の歌を揮毫したもので「団洲」は団十郎の雅号である。
 歌碑は、明治12年(1879)9世市川団十郎が中心となり、日頃世話になっている日本橋の須永彦兵衛(通称榛彦)という人を顕彰して、彦兵衛の菩提寺仰願寺(現、清川1-4-6)に建立した。大正12年(1923)関東大震災で崩壊し、しばらくは土中に埋没していたが、後に発見、碑創建の際に世話役を務めた人物の子息により、この地に再造立された。台石に「花川戸鳶平治郎」、碑裏に「昭和33年(1958)秋再建 鳶花川戸桶田」と刻む。
 歌舞伎18番の1つ「助六」は、2代目市川団十郎が正徳3年(1713)に初演して以来代々の団十郎が伝えた。ちなみに、今日上演されている「助六所縁江戸桜」は、天保3年(1832)上演の台本である。助六の実像は不明だが、関東大震災まで浅草清川にあった易行院(現、足立区伊興町狭間870)に墓がある。
 平成11年(1999)3月 台東区教育委員会



                  BALLAD MONUMENT OF "SUKEROKU"
 The role of Sukeroku in the Kabuki play of the same name,which is one of the 18 classical pleces of Kabuki,has been played by the actors succeeding the name of Danjuro since Ichhikawa DanjuroⅡ played the role for the first time in 1713.
 The ballad momument was erected at the Koganji Temple in 1879 by DanjuroⅨ and other people in commemoration of a man called Sunaga Hikobei in Nihonbashi,who offered much back-up to DanjuroⅨ.
 It collapsed in the Great Earthquake of 1923 and was lerft buried for a long time.It was re-descovered,however, and was moved to this location thanks to the efforts of the sons of the caretakers at the time of the original erection of the monument.  
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