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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草1-3 (浅草寺) 

   雷門(風雷神門)
 天慶5年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。
 門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿は、お馴染みのものである。また、門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
 現在の門は、慶応元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)に松下幸之助氏のご寄進により修興された。
 浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、また、東京・浅草の顔として全国的に有名。
 金龍山  浅草寺

   Kaminarimon Gate
The Kaminarimon Gate ("thunder gate"),standing at the entrance to the processional road leading to Senso-ji,is Asakusa's most famous landmark.Inside the gate on either side are enormous wooden statues of the protective Buddhist deities Fujin(wind god) and Raijin(thunder god),from which the gate gets its name.The original gate was erected in 942 but burned down several timesover thr centuries.The one standingtoday was built in 1960,donated by Japanese entrepreneur KOnosuke Matsushita(1894-1989).

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所在地 台東区浅草6-42

御祭神  保食命(うけもちのみこと)
御社殿  神明造
御創建  永禄年間(1558~1570)

 当社は永禄年中山谷村百姓一同にて郷中鎮守と奉斉す有り御祭神は生活の基をなす食を司どる神として御神威を発揚され約四百数十年御民の尊崇を集めている。

 所在地 台東区浅草2-3-1  (浅草寺)

 大正8年(1919年) 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られました この銅像は 近代彫刻の先駆者 新海竹太郎氏の傑作であり 歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれておりました ところが第二次世界大戦中の昭和19年(1944年)11月30日金属回収のため この「暫」の銅像も供出の命を受け 40余年を経てまいりました



 この度 12代市川團十郎襲名を機に 復元の機運が高まり浅草寺の御理解のもと 多くの方々に御尽力を賜り ここに「暫」の銅像が再現されました 11代目並びに12代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります
 こののちも 歌舞伎の隆盛とともに この「暫」の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世界の人々からも 幾久しく愛されますことを願ってやみません
  
昭和61年(1986年)11月3日
             宇野信夫 撰書 

九代目市川團十郎「暫」銅像 復元建設委員会
   12代市川團十郎
   浅草観光連盟
   松竹株式会社

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

台東区有形文化財
山東京伝机塚(さんとうきょうでんつくえづか)
の碑

 山東京伝(1761~1816)は、浅草や吉原を題材とする戯作を多く著わし、北尾誠演の画号で浮世絵もよくした人物。
 この碑は,京伝の弟京山が文化14年(1817)に亡兄を偲んで建立。表面には晩年の京伝撰「書案之紀」を刻む。書案とは机のことで「九歳の時に寺子屋に入った際、親の買ってくれた机を生涯愛用し、この机で百部を越える戯作を書いた。しかし50年近くも使ったので、ゆがみ、老い込んださまは哀れである」という意味の文と、

 耳もそこね あし(足)もくしけて もろともに
       世にふる机 なれも老いたり

の歌が記されている。また、裏面には、京伝と親交のあった戯作者太田南畝(おおたなんぽ)の撰による京伝の経歴を刻む。
 京伝の生涯や人間性を伝える貴重な資料で、平成2年(1990)に台東区有形文化財として搭載。
  平成6年(1994)3月 台東区教育委員会

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 
昭和39年(1964)に再建されたこのお堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、その下に「寛永通宝」が埋められているといわれることから「銭塚」の名がある。
 江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者がおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が沢山入った壺を掘り当てた。だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてしまうと考え、誰にもいわず再び土中に埋め戻した。この心掛けによって一家は繁栄したので、この壺の上に地蔵尊を祀ったという。
 お堂のご本尊は、そのご分身を勧請したもので、商売繁昌のご利益があるといわれる。
 毎月「四の日」と正・五・九の各月二十四日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。特に塩をお供えするので「塩なめ地蔵」の名もある。
 金龍山 浅草寺

      Zeniduka Jizoudou Hall
 Stone sculptures of "Roku-Jizou" are enshrined in this temple reconstructed in 1964.The coins of the Edo period called "Kanei-Tsuhou" are buried in the ground of this temple.We call this temple "Zeniduka-Jizou" after the coins.
 In those days,there was a man who named Yamaguchi.One day,his wife dug up a crock filled with coins "Kanei-Tsuhou" in the yard of their house.She thought that if they had relied on the money and had not worked,their family would have declined.So she reburied it.As a result,the family became prosperous and they enshrined "Jizou" above the underground coins.Therefore we call this area "Zeniduka",that is "Coin Mound" and people say this "Jizou" gives fortune to believers.

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

翁ハ明治十四季富山縣ニ生ル牡ニシテ上京大谷製鋼所ヲ創立シ社運隆々今日ノ大ヲナス夙ニ大慈ニ歸依シ浅草寺信徒總代トナリさと子夫人ト共ニ宝藏門ノ寄進ノ外伽籃ノ復興ニ盡力シ衆庶ノ信仰ヲ莊嚴ス其ノ功徳永ク金龍ト倶ニ輝カン

  昭和四十二年十月一日

 所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

  被官稲荷神社(ひかんいなりじんじゃ)
 
安政元年(1854)、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に祈願した。その効果があって病気全快、安政2年(1855)、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請(かんじょう)し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという。
 辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺 伝法院に隠居し、上野へ行くのに便の良い新門を造った。その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍をした。
 社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、杉皮葺、創建以来のもの。間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋(おおいや)を構えて保護している。覆屋は大正期の建築であろう。社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居ほかがある。
  平成4年(1992)11月 台東区教育委員会

所在地 台東区浅草2-3-1  (浅草寺)

 阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる仏さま。
 この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として元禄6年(1693)に1,000人近い信徒によって建立された。もとは本堂裏にあったものを、平成6年にこの地に奉安した。総高7.5m。極楽往生の諸霊の頓証菩提を祈る。 金龍山 浅草寺

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 影向堂(ようごどう)は、平成6年(1994)に浅草寺中興開山慈覚大師生誕1200年を記念して建立されました。聖観音菩薩像を中心に生れ年十二支生まれ年の守り本尊八体の像(影向衆ようごうしゅう)をお祀りしているお堂です。影向とは影が形にしたがい、響きが音に応ずるように仏さまの大きなお力が、それぞれの人の機縁に応じて現れ、利益を与えて下さる事であります。十二支に応じて八体の影向尊がおられるところから影向堂と名づけられました。
 お堂の上、棟飾りには、火伏せの咒まじないとされる金箔押しの鴟尾しびを置く。鴟尾を取り付ける際は不思議と雨を呼ぶといわれており、平成6年(1994)夏の建立時も記録的な日照りであったが、鴟尾を取り付けると突如として雨が降り、人々を感動させた。

 <子(ね)>
千手観音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)  縁日17日
無数の御手により私たちの苦を除いてくださる。

 <丑(うし)・寅(とら)>
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)  縁日13日
福徳と知恵を無量に蔵し私たちに与えてくださる。

 <卯(う)>
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)  縁日25日
ものごとの真相を正しく知る知恵をお持ちでそれを授けてくださる。

 <辰(たつ)・巳(み)>
普賢菩薩(ふげんぼさつ)  縁日14日
慈悲の心をもって私たちに延命福寿の幸せをお約束くださる。

 <中尊>
聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)  縁日18日
大慈大悲のお心をもって私たちの苦を除き安楽を与えてくださる。

 <午(うま)>
勢至菩薩(せいしぼさつ)  縁日23日
阿弥陀(あみだ)さまの脇侍(きょうじ)として知恵をもって私たちをお救いくださる。

 <未(ひつじ)・申(さる)>
大日如来(だいにちにょらい)  縁日28日
密教の仏の世界を綜合する根本仏としてのはたらきをなさる。

 <酉(とり)>
不動明王(ふどうみょうおう)  縁日28日
怒りのお姿で教化しにくい者を導きその力でまよいの心を断ち切ってくださる。

 <戌(いぬ)・亥(い)>
阿弥陀如来(あみだにょらい)  縁日15日
極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる。

   Yogodo Hall
 Yogodo Hall was built in 1994 to commemorate the 1,200th anniversary of the birth of Ennin,the monk who established Senso-ji.Inside,statues of Bodhisattva Kannon, and of 12 protective Buddhas, each assigned to a particular year of the oriental zodiac cycle, are worshipped.

所在地 台東区浅草2-3-1 浅草寺  新奥山

  映画弁士塚 鳩山一郎書

 明治の中葉わが国に初めて映画が渡来するやこれを説明する弁士誕生 幾多の名人天才相次いで現れその人気は映画スターを凌ぎわが国文化の発展に光彩を添えたが 昭和初頭トーキー出現のため姿を消すに至った 茲に往年の名弁士の名を連ねこれを記念する

  建設省 大蔵貢

徳川夢声 樋口旭琅 熊岡天堂 原紫翠 国井紫香 谷天朗 泉天嶺 犬養一郎 大和春城 斎木嶺水 千代田鶯谷 加藤柳美 石田夢人 森鴎光 高村秀嶺 金子晴洋 染井三郎 静田錦波 松田春翠 生駒雷遊 津田秀水 加藤如洋 西村小楽天 木下紫楼 竹本嘯虎 高橋林風 細山夢眼 渋谷白涙 紫野柳晃 三木緑光 五十嵐狂虎 大友保 大原霜渓 大蔵正一 松井翠声 鈴木涛晃 石野馬城 西村楽天 玉井旭洋 高岡黒眼 林天風 大蔵忠孝 黒沢松声 加川栄一 松浦翠波 大辻司郎 清水雲山 石井春波 花井秀雄 伊原旭涛 東滔水 土屋松涛 山野一郎 内藤紫健 中川慶ニ
  建設省 大蔵貢
  賛助 大谷竹次郎

遠山霞洞 中村緑陰 余川天露 牧野周一 雲井天明 松平鶴声 武井秀輔 西澤紅美 河合華水 松本瓢遊 鈴木光太郎 高橋鶴童 茂木二郎 藤浪無鳴 守谷梅香 井口静波 渡辺遊声 福地悟朗 島田嶺月 中山生堂 島村春洋 松田快堂 神田楓晃 美津木春堂 梅村紫声 長田猛虎 岩田晃波 芳本涛華 浜野静波 月島光波 駒田好洋 高麗田桃緩 藤原狂夢 杉浦市郎 佐々木雀友 石原登美郎 細野暁風 島津天涛 須田貞朗 仙石雷渓 細川天流 花岡三八 細川春葉 桂一郎 奈美乃一郎 桜井狂葉 徳永天露 藤村緑郎 林旭風

 賛助
松竹株式会社 社長 城戸四郎
東宝株式会社 社長 清水雅
大映株式会社 社長 永田雅一
東映株式会社 社長 大川博
日活株式会社 社長 堀久作
新東宝株式会社 社長 大蔵貢

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

 河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は江戸末期から明治中期まで活躍した歌舞伎の狂言作者である。文化13年(1816)3月江戸日本橋通2丁目4代越前屋勘兵衛の長男として生まれ幼名を吉村芳三郎といった。
 
若い頃は遊楽生活を送ったが 20歳で狂言作者五世鶴屋南北に師事 はじめ二世河竹新七の名を継いだ 天保14年(1843)江戸三座が浅草猿若町に移転し終ると間もなく黙阿弥も芝からこの浅草の正智院の地内に居を移し 四世市川小団次に多くの新作世話物を書いた 明治維新後は九世市川団十郎 五世尾上菊五郎 初代市川左団次のために世話物 時代物のほか舞踏劇などを執筆した 明治14年(1881)古河黙阿弥と改名し その後も劇作を続けた 作者生活50年 著作は350余編 江戸歌舞伎後半期の第一人者の地位にあり 特に 世話物を得意とした その音楽的効果や味わいは黙阿弥調として知られる
 
代表作には「青砥稿花紅彩絵(あおとぞうしはなのにしきえ)(白浪五人男)」のほか「三人吉三廓初買(さんにんきちくるわのはつかい)(三人吉三)」 「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)(河内山)」などがある  明治26年(1893)1月歿 78歳
  昭和43年(1968)10月
    東京百年記念に台東区が建立する
       東京都台東区長 上條貢   

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

「濁流」の花道の師、笠翁斉乱鳥の死を悲しんだ弟子たちによって建てられた。
笠翁斉乱鳥は、享和3年(1803)7月晦日死去。
享年88歳。浅草本然寺(曹洞宗、現西浅草3-25-3)に埋葬。悲しんだ弟子たちが、瓶に花を挿したが、衰える花を惜んで地中に埋め塚とした。
戦後、昭和31年(1956)観音堂裏手東北より移転。
  建碑 文化元年(1804)3月17日

かめに花を挿こと古しへより聞え来れるを近き代には其花をさすにのろ有事と成り其流くさくさに分れぬ。
笠翁斉乱鳥其わざを好てこの大城のもとに濁流としなへて弟子あまた有き。こその文月つごもり、齢八十餘八にてみまかり給。浅草本然禅寺に葬ぬ。ことし3月17日、かの翁の親しき友垣に弟子の集りて、かめに花をさして手向つ。其花のなごりを空しくなさむ事を惜み、はた翁の名の朽さらん事をおもひて、浅草寺の大ひさのみ堂のうしろ清らなる所を撰て其花を埋めて花塚と名付て後の世に残しなんとす。彼弟子の中、平石氏乱雨翁え残されしほほに笠翁斉の名を残したれば人々共に計りて其事成ぬ其わきかいつけよとこはるるにいなひあへずして記つ。
  「文化元年七月千蔭」 浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

竹馬や いろはにほへと ちりぢりに
          久保田万太郎

 久保田万太郎句碑は昭和四十年(1965)建立。 久保田万太郎は明治22年(1887)11月7日此地に生まれ、市立浅草尋常小学校へ入学、府立三中に学び大正3年(1914)慶應義塾大学文科を卒業し、10月移転する迄の26年間浅草に在住した。 昭和38年(1963)5月6日永眠するまでの明治・大正・昭和の三代に亘り、常に下町の義理と人情を描写した小説、戯曲の作品多く、其他文学、演劇界に多大の功績を残した作家であった。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山

 円形の上部には曽我廼家五九郎(そがのやごくろう)の好きだった「群盲撫象」の文字と「ノンキな父さん」の像を描く。昭和38年(1963)建立。題字は大野伴睦筆。
 徳島県吉野川市鴨島 出身、「喜劇王」として浅草で活躍していた。映画「ノンキナトウサン(ノンキナトウサン役)」、「山賊(喜多八役)」、「八公(八百八役)」に主役で出演する。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

<碑正面>

観世音菩薩
南無阿弥陀仏
大勢至菩薩

文政6年(1823)建立。上野屏風坂下の鹿島屋平兵衛の奉献。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

初代花柳寿輔句碑(初代花柳壽輔句碑

雷は 田町をよけて 鳴りわたる

初代 花柳壽輔 略傳
<出生> 文化4年2月19日、芝・新明にて出生

<6才> 文政9年、四世西川扇藏の許に入門し舞踊修業の道に入る。

<8才> 文政11年、七世市川団十郎の鑑識に叶い市川鯉吉の芸名にて舞台を踏む。

<19才> 天保10年(1839)、旧師西川扇藏の許に復帰し、西川芳次郎として振袖師の第一歩を踏み出す。

<25才> 吉原の玉屋小三郎より俳号の「花柳」なるの二字を与えられ、以後花柳芳次郎と稱す。爾後、七世市川団十郎が嘉永2年(1849)、当時市川海老藏を名乗り、その俳名「寿海」に因みて「壽」の字を贈られ、29才にして初めて花柳壽助を名乗り、後に「助」を「輔」に改め、と共に、諸流に冠絶して振付の第一人者として謳はれる事、実に半世紀。その作品は一千五百種を超え、就中「土蜘」 「茨木」「戻橋」「舟辯慶」の如きは不滅の傑作と讃られる。

<83才> 明治36年(1903)1月28日、花柳流の祖としての偉業を樹て、門弟、縁者に見守られ其の生涯を終わる。
  
浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

翁の文字 まだ身にそはず 衣がえ 
                     猿翁

建碑  昭和42年(1967)5月17日
撰文  市川猿翁

孫団子に三代目猿之助を譲り、自らは猿翁を襲名。
昭和38年(1963)5月、歌舞伎座に於て襲名興行。
浅草寺の襲名お練りは4月16日)
『猿翁』(昭和39年(1964)6月東京書房刊)には、「翁の文字まだ身にそはず 衣がへ 猿翁 昭和37年(1962)5月 猿翁襲名のとき」とある。
明治21年(1888)5月10日、浅草千束町2丁目に生れる。
父、喜熨斗亀次郎(初代市川猿之助ー段四郎)、母古登の長男。(弟妹は十人)兵役を終えたのち明治43年(1930)10月(22才)で二代目市川猿之助を襲名。
昭和38年(1963)6月聖路加病院(心不全)にて死去。享年75才。
昭和36年(1961)3月28日浅草3丁目39番地に生家に因みて「猿之助横丁碑」を建てる。
  
浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

女房も 同じ氏子や 除夜詣
               吉右衛門

建碑 昭和28年(1953)4月21日

 初代中村吉右衛門
 歌舞伎俳優
 日本芸術院会員
 文化勲章受賞

 明治19年(1886)3月24日 浅草象潟町に生まれ 幼少から舞台に立って名声を得 長じて大成し 大正・昭和期を代表する歌舞伎俳優となった
 高浜虚子に師事して「ホトトギス」の同人となり 句集も三冊に及ぶ 初め秀山と号したが 後に吉右衛門の名前を用いた
 妻千代もまた浅草の生まれ この句の由緒である 昭和14年(1939)冬の作 この碑は自詠自筆である
 実名  波野辰次郎
昭和29年(1954)9月5日没 享年68
                  浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

『 粧(よそおい)太夫碑
{蕋雲(ずいうん)女史書の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)}歌碑 』
         

 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
         島かくれゆく 船をしぞ思う


 有名な万葉歌人柿本人麻呂の和歌を万葉仮名で刻んだもので、骨太な文字を認めたのは、碑文にあるように蕋雲女史である。
 蕋雲は文化年間(1804~1817)、遊里新吉原の半松楼に抱えられていた遊女で、源氏名を粧太夫といい、、その号である。粧太夫として当時の錦絵にも描かれており、書を中山敬義に学び、和歌もたしなむ教養ある女性で江戸時代の代表的な文人、亀田鵬斎から蕋雲の号を送られたほどの人物であった。
 この歌碑は人麻呂を慕う太夫が、文化13年(1816)8月、人丸社に献納したものである。人丸社は幕末の絵図によると、三社権現(現在の浅草神社)の裏手にあったが、明治維新後に廃され、碑のみが被官稲荷神社のかたわらに移され、昭和29年(1954)11月、現在地に移された。
 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会

         MONUMENT TO YOSO-OITAYU
 (In memory of K.N.H Miss Zuiun,using calligraphy inscribed one of his Waka poems on this monument).

Honobonoto Akasi no ura no asagiri ni sima kakureyuku hune wo sizo omou

 The famous Man-yo poet,Kakinomoto no HItomaro inscribed this poem in ancient Japanese phonetic characters(Man-yo-gana) using the calligraphy of Miss Zuiun,an intellectual of that period.
 She was a courtesan and called Yoso-oi Tayu.Zuiun was her pen name.She was an excellent calligraphist,Waka poetess,and a caltured woman,sho was often depicted in coloured woodblock prints.
 This monument was offered to Hitomaro-sha(a shrine to worship Kakinomoto no Hitomaro) in August of 1816 by Yoso-oi Tayu who adored Hitomaro.The shrine was destoroyed after the Meiji Restorarion,except for this monument which ws moved have in November of 1954.

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

  神木『槐(えんじゅ)』の木の由来
 槐(えんじゅ)は中国原産のマメ科の落葉喬木で、葉は藤に似て、夏、黄白色の花をつけ、高さ10mに及ぶ。古来中国では宮廷の庭に3本の槐を植え三公のつく位置を示したといわれる通り、高貴の木として珍重された樹木である。
 浅草寺のご本尊の聖観音菩薩は推古天皇36年(628)3月18日、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の二兄弟によって網得され川辺の槐の木の切株に安置されたが、その主、土師仲知(はじなかとも)の教導により、三人共々深く観世音に帰依し、草堂を結び自邸を寺にかえたのが浅草寺の始まりと伝えられている。その後この三人が浅草観音示現の功労者として、三社権現の尊称を奉られ、神として祭祀されたが、これが当浅草神社であるから、槐は浅草寺にとっても当社にとっても非常に因縁の深い木である。
 その故か、当境内には槐の木が自生し、枯れては生え、枯れては生え、連綿として絶える事がない。まことに不思議な縁を感じさせる木である。
 昭和62年(1987)9月 浅草神社奉賛会 浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 この針供養之搭は、大東京和服裁縫教師会が50周年記念事業として発願し、全国和裁団体連合会の御協賛と裁縫をたしなまれる多くの方々の御助勢とにより、昭和57年(1982)10月17日に建立されました。

 省みますれば昭和10年(1935)2月8日「折れ針」への感謝と裁縫関係者にお呼びかけし、古来の伝承に従い浅草寺淡島様の御宝前で、供養の法会を営ませて頂いてより、次第に同じ志の方々が増え都内をはじめ近県からも「折れ針」を持って参詣され、懇ろに御供養なさる方々が、年々多くなりつつありますことは報恩の美風を善く世に伝へるためにも誠に有難く喜びに堪えません。
 大東京和服裁縫教師会・針供養之搭保存会会長  鈴木昇造
 針供養之搭担当責任者  山崎章司

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

東京都指定有形文化財(歴史資料)
西仏板碑
指定 昭和17年(1942)9月 旧跡
    
昭和56年(1981)3月12日 種別変更⇒歴史資料

 建立者の西仏(さいぶつ)については明らかではないが、この板碑(いたび)は彼が妻子の後世安楽を祈って建立したものと推測される。建立の年代も不詳であるが、鎌倉末から室町初期かと思われる。
 
上部が破損しているが、製作時には3m近くあったものと思われる。寛保2年(1742)暴風雨によって倒れ破損、文化11年(1814)に有志が側柱を立てて支えたという。材質は秩父粘板岩(青石)。
 
現存の板碑の大きさは高さ217.9cm、幅48.0cm、厚さ4.7cm。
 
中世の信仰を知るうえで貴重な遺品であり、かつ巨大板碑の典型例である。
  
平成8年3月25日建設 東京都教育委員会

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  新奥山

  日本の創作舞踊の創始者石井漠
 
明治19年(1886)秋田に生まれ昭和37年(1962)1月7日に昇天するまで、近代バレエの創造、浅草オペラの旗揚げ、300数曲の創作舞踊など、芸術活動は誠に偉大でありました。舞踊生活50年の山坂道を失明にあえぎながら登りつめた不滅の魂を記念するために、実妹栄子と共に踊った「山を登る」の姿を碑に刻み石井漠を愛した多くの人々や八重子未亡人の哀悼の念を永久に伝えようとするものです。

題字  谷崎潤一郎
設計  谷口吉郎
彫刻  舟越保武
施工  清水建設
  昭和38年(1963)4月8日

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

 川口松太郎ハ明治三十二年十月一日浅草今戸ニ生レル 昭和十年第一回直木賞受賞ノ「鶴八鶴次郎」ヲ初メトシテ小説脚本ニ名作多ク文壇劇壇ニ多大ナ足跡シルス 特ニ新派俳優花柳章太郎水谷八重子等ニヨッテ演ジラレタ情緒豊カナ諸作品ハ観客ヲ魅了ス 這般ノ功績ニヨリ三十八年菊池寛賞受賞 四十年芸術院会員 更ニ四十四年「しぐれ茶屋おりく」ノ一篇ニヨリ吉川英治文学賞受賞 四十八年文化功労者ニ叙せられる 最晩年渾身ノ筆デ連載小説「一休さんの門」ヲ脱稿後昭和六十年六月九日永眠ス 行年八十五才 三回忌ニ因ミ故人ノ終世ノ師久保田万太郎ノ傍ラニ同ジク句碑ヲ建テテ這者ヲ偲ブ

    生きると いうこと

      むずかしき 夜寒かな

 昭和六十二年六月九日

      松竹株式会社 

      文芸春秋社  

      劇団新派

      講談社  

      明治座   

      読売新聞社

                  浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

扇塚は使い終わった扇を供養する塚である。

  <古扇  納め箱>
わたくし達日本舞踊を志すものにとりまして扇は欠くことの出来ない品でございます。使い古された扇はどうぞこの箱にお納め下さい。毎年四月八日にご祈祷の上、扇に感謝のご供養を致します。
  
花柳流花柳会



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