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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草2-28

  元木場館通り
 この地は元「木場館通り」として親しまれていたが、昭和48年(1973)11月、浅草寺昭和五重塔の再建により、五重塔通りに改称された。浅草を懐古するとき、12階と瓢箪池と木場館の廻転木馬は、あの楽しいジンタの音楽とともに語り草となっている。明治30年代、木場館にあった昆虫館(昆虫研究家、名和清氏)や水族館は、当時東京における貴重な文化施設であった。とりわけ、ジンタの伴奏で子供達の夢をのせた廻転木馬は有名である。その「木馬」の行方はどうなっていることか、消息を知りたいものである。また、浅草名物となった木馬館の「安来節」は昭和52年(1977)6月に公演をもって終幕になったが、唄い続けて40年、木馬館の安来節は、浅草の大衆芸能史上に不朽の名をとどめている。昭和4年(1929)7月に水族館2階に日本最初のレヴュー劇場の「カジノフォリー」が旗挙げした。新進作家の川端康成が朝日新聞紙上にカジノフォリーの舞台を小説「浅草紅団」と題して連載したことから社会に知られ、学生やインテリが押しかけ有名となった。このカジノフォリーの舞台から喜劇の天才エノケンこと榎本健一が誕生している。
 昭和52年(1977)10月  浅草公園町会建札
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所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 鎮護堂ちんごどうは「おたぬきさま」の名で親しまれ、防火、盗難除、商売繁昌の守護神として知られている。
 明治5年(1872)、浅草寺境内に住みついた狸の乱行を鎮めるため、浅草寺の用人であった大橋亘が浅草寺貫首唯我韶舜と相談の上、自身の邸内に祀ったことがはじまりと伝える。数度の移転を経て、明治16年(1883)伝法院内の当地に再建した。
 現在の入母屋造の本殿は、大正2年(1913)に再建されたものである。
 祭礼は、毎年3月17・18日に行われている。
 また境内には昭和38年(1963)に建てられた幇間塚がある。幇間のことを「たぬき」と呼んだことから、この地に建てられたもので、碑には幇間の由来と久保田万太郎の「またの名のたぬきづか春ふかきかな」の句が刻まれ、裏面には幇間一同の名が刻まれている。
 平成18年(2006)3月 台東区教育委員会


 鎮護堂域内には『封間塚』、『手水鉢』、『水子地蔵尊』、『鎮護堂の神木・公孫樹』があります。

             Chingo-do
 Chingo-do is also known as "Otanuki-sama(Sir Raccoon-dog)" and is famous for being the deity of protection against fire and theft as well as flouriching businesses.
 In 1872,a steward of Senso-ji Temple consulted with the chief priest of the temple and enshrined the deity in his own garden in order to prevent mischief by raccoon dogs that had taken up residence in Senso-ji Temple.This is said to mark the start of the history of the shrine as well as the origin of the name "Otanuki-sama." In 1883,the shrine was moved to the current location and the shrine building was constructed.
 The current main shrine was rebuilt in 1913 and festival rites are conducted on March 17 and 18 every year.


所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  鎮護堂

 この手水鉢は、明治13年(1880)市川一門により奉納される。
 制作者は部名で発起人は5代目市川新蔵。
 市川新蔵(1861~1897)は歌舞伎役者。8歳で4代目中村芝翫に入門、明治7年(1874)9代目市川団十郎の門下に就き、5代目市川新蔵を襲名、立役の花形として団門四天王の一人と称された。
 おたぬきさまは「たをぬく」と言われ、学芸成就のご利益があると、役者や芸能人にも信仰され、この手水鉢も人気の泉と呼ばれ親しまれている。
 金龍山 浅草寺


所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  鎮護堂

 昭和53年(1978)9月25日建立。(浅草寺ご本尊示現1350年)
 お地蔵さまは、地獄界から天上界に至る六道の苦の中に、生死を繰り返す私たち衆生の苦しみを救済する仏さまで、修行僧のお姿をして、右手に鍚枝、左手に宝珠を持つ、慈悲深い菩薩さまである。
 地蔵とは、万物を平等に育成する偉大な力の源である大地を現し、また母親の胎蔵を意味することから、地蔵尊が子どもたちを守るという信仰が生まれた。
 江戸時代には、六道(善悪の行為の結果として赴く六つの世界)救済のために、六地蔵尊が盛んに造像奉祀され、空無上人が自ら六地蔵尊の一つを、浅草寺の支院、正智院に安置したと伝える。
 生後間もない嬰児の健やかな成長を願い、また、受け難き人の命を宿しながら、育成し得なかった、多くの尊い命の、後生安穏の悲願を込め、ここに水子地蔵尊が建立された。
 毎月24日にお地蔵さまのご縁日には、水子供養法要が行われる。
 お地蔵さまのご真言・・・「おんかかか びさんまえいそわか」
 金龍山 浅草寺


所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  鎮護堂

推定樹齢4、500年。
この公孫樹の木は、昭和20年(1945)の3月10日の東京大空襲の時、焼夷弾を浴びながらも、その猛火から鎮護堂を守ったという神木である。
今でも木には当時の焼け跡が残っている。
戦争がこの世からなくなることを願いたい。
 金龍山 浅草寺


所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  鎮護堂

 「幇」は、たすける意。幇間とは、客の宴席に侍し、座を取り持つなどして遊興を助ける者。たいこもち、男芸者のこと。
 幇間有志によって、幇間物故供養のため、昭和38年(1963)に建立された。
 碑には、浅草生れで、大正・昭和期の小説家・劇作家・俳人、久保田万太郎氏の俳句がある。
「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」
 金龍山 浅草寺


所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 伝法院は浅草寺の院号で、住職の居住する本坊の称号に用いられている。諸建物のうち、客殿・玄関・使者の間・大台所の一部は、安永6年(1777)の建造である。そのうち客殿には本尊阿弥陀如来像を安置し、6月の山家会(伝教大師の忌日法要)、11月の霜月会(天台大師の忌日法要)をはじめ、故人の追善供養、寺内僧侶の修行などが行われる。
 建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり、江戸時代初期の築造といわれ、池畔には、至徳4年(1387)在銘の梵鐘や京都表千家の不審庵を模した茶室天祐庵がある(非公開である)。
 平成8年3月 台東区教育委員会

 伝法院域内には『天祐庵』、『石棺』、『至徳の古鐘』、『岩本乾什句碑』、『谷口楼川句碑』、『心字池』があります。



         DENBO-IN
 Abbots serving to Sensoji temple dwell here in DEnbo-In.
 The main building was built in 1777 and here is held Sange-e in June and Shimotsuki-e in November annually.The former is for a Japanese Tendai-Sect anniversary,the latter for a Chinese one.
 Behind this building is a garden with a fountain created in the early part of the 17th century.
 By the fountain,there is a temple bell which was cast in 1387 and also a tea-house called Tenyu-an which dates from the 18th century.


所在地 台東区浅草3-6

  道引長太郎地蔵尊縁起
 江戸末期文政嘉永の頃、金竜山浅草寺に資性純朴な長太郎と云う者がおり、良く寺に仕え、信者及び街の人々より信望を受け生涯を浅草寺と街の為に尽くし、長寿を全うしました。
 この事を聞いた当時の浅草寺住職であった上野輪王寺門跡の宮様である慈性法親王が浅草寺別当大僧正に命じ一体の延命地蔵尊を建立させ、之を長太郎地蔵尊と命名し長太郎の忠誠を末永く記念しました。
 そして、昭和以降この地蔵尊は俗に「道引長太郎地蔵尊」と呼ばれ、道引とは引導に通じ、この地蔵尊を信仰すれば将来浄土にみちびいて頂けると言う機縁に恵まれると云う意味であり又、俗説には浅草寺馬屋番の世話役男衆の弔い地蔵と言う説も有ります。
 地蔵尊祭礼は当町会により毎年7月24日、浅草寺の僧侶により回向が執り行われます。
 浅草3丁目象一町会


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永山
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