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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区元浅草3-19-7

 この付近は、『御府内備考』によると、慶安年中(1648~1652)、川村某が駿河国安倍川(現在、静岡県静岡市域を中心に流れる一級河川)の鎮守「孫三稲荷」とともに駿河から当地へ移したことにより安倍川町と称していた。
 孫三稲荷は、当地に伝わっている由来によると、天正年間(1573~1592)、徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、ただ安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があり、実はこの稲荷の化身であったという霊験から、天正18年(1590)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中当地へ移したという。この伝承は、江戸へ招来した年も『御府内備考』と異なるが、『町方書上』に、慶安に安倍川より移安したことが記されており、江戸初期には地域の鎮守として信仰を集めていたことが知られる。
 『町方書上』にはまた、当町に店借していた修験者の善明院という人物が「正一位孫三稲荷大明神」を司っており、神像は木造で長さ3寸(約10センチメートル)であったと記されている。
 現在、静岡の孫三稲荷の所在は不明であり、当地も関東大震災、東京大空襲などによって、記録や社殿を失ったが、昭和26年(1951)、当町会(安倍川町・菊屋橋町会)によって、社殿が再建され、毎年3月8日に例祭が行われている。
 平成7年(1995)7月  台東区教育委員会

                        MAGOZO SHRINE
 The record "Gofunai Biko"of the Edo era says this neighbourhood was called Abekasacho because a village shrine called "Magozo Shrine"at Abekawa in Shizuoka prefecture was moved to here.
 A legend has been handed down in this district that at the end of the sixteenth century,Tokugawa Ieyasu had a spiritual experience while traversing the river Abe allowing a man called Magozo to hold the bit of his horse.Later this man was found to be an incarnation representing Magozo Shrine lacated near the river Abe.
 Another record "Machikata-kakiage"shows this shrine was attended by people living in the destrict and there was an enshrined wooden statue of about 10 cm in size.
 The location of the original shrine in the Shizuoka prefecture is not known and all the records and building of this shrine here were completely lost due to the Great Knto Earthquake and Tokyo air raids during World War Ⅱ.The present shrine was constructed by the neighbourhood association and a festival is performed here annually in March. 

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所在地 台東区元浅草2-5-13 (妙経寺)

  台東区有形文化財 
 妙経寺の銅鐘
          平成10年(1998)指定



 妙経寺は山号を寿量山という、日蓮宗の寺院である。『御府内寺社備考』によると、当寺は天文4年(1535)に武蔵国芝崎村(千代田区大手町)に建立され、慶長16年(1611)に現在地に移転した。
 銅鐘の大きさは、総高151.5センチ、口径96センチ。宝暦13年(1763)、4代西村和泉守藤原政時によって鋳造された。
 西村家は江戸時代中期から大正時代にかけて鋳物師を務めた家で、全国に多くの作品を残している。神田鍛冶町1丁目(千代田区神田)に居を構え、代々「和泉守藤原政時」を名乗った。4代は享保5年(1720)に3代の実子として生まれ、市郎兵衛・伊右衛門を称し、江戸府内の代表的な鋳物師であった。
 銅鐘の縦帯に「武陽浅草新寺町寿量山妙経寺十世日隆」の陽鋳銘があり、鋳造以来当寺に伝来したものである。
 平成10年(1998)に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
 平成15年(2003)3月  台東区教育委員会



          Copper Bell(Cultural Asset of Taito City)

 Myokyoji Temple was first founded in 1535 before being moved to its current location in 1611.The total height of thistemple's bell is 1.515 meters,making it a fairly typical example of copper bells produced between the 17th and 19th centuries.The craftsman who made the bell was Nishimura Masatoki,a fourth generation artist from the famous Edo period(1600-1868)metal casting house of Nishimura.


所在地 台東区元浅草3-17-2 (龍福院)

 小林清親は木版浮世絵師最後の人といえる。
 江戸の末、弘化4年(1847)8月1日、浅草御蔵屋敷に武士の子として生まれ、上野戦争には幕府方として参加、明治維新後は、新聞、雑誌にさし絵を描き、生計を立てた。その前後、イギリス人ワーグマンに洋画を、河鍋暁斎、柴田是真からは日本画を修得、浮世絵師としての大成をはかった。
 やがて小林清親の版画には、上野、浅草を中心に新しい東京の風俗・建物が光と影によって描きだされ、それらは、明けゆく明治の時代を先取りしたものとして、ひろく一般に迎えられた。それは、安藤広重や歌川国芳ともちがう、写実のなかに木版の刷りの美しさを生かしたものだが、浮世絵興亡の歴史からみれば、最後の光でもあった。巷説、わが家が焼けたとも知らず、両国の大火を写生していた男である。
 大正4年(1915)11月28日死去。69歳。寺内には小林氏墓「真生院泰岳清親居士」と清親画伯碑がある。
 平成4年(1992)11月  台東区教育委員会


          The Grave of Kobayashi Kiyochikagreat 
 Kobayashi Kiyochika can be said to have been the last woodblock print artist.
 He was born in Asakusa in 1847,the son of a samurai.He studied western art and Japanese art,aiming to become a great ukiyoe(woodblock print)artist.Kiyochika's prints were widely acclaimed because they depicted the early days of the Meiji period(1868-1912),showing the manners,customs and buildings of the new Tokyo,centering on Ueno and Asakusa.His style was realistic,whilst at the same time making the most of the beauty of woodblock printing.
 He died in 1915 at the age of 69.


所在地 台東区元浅草4-6-9 (誓教寺)

 都指定旧跡
 葛飾北斎墓
          昭和2年(1927)4月指定



 江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など三十余ある。宝暦10年(1760)9月23日江戸本所割下水(墨田区亀沢)で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。14、5才の時彫刻師に学び、19の時に浮世絵師勝川春章の門に入った。このとき与えられた名前は「勝川春朗」で、画号は「春朗」、「宗理」、「画狂人」、「卍翁」など約30種類あります。寛政4年(1792)勝川春章が没したのち、狩野派の画法をひそかに学びしこと師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いた。
 肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。
 葛飾北斎は、生涯に住居を93回も引っ越しましたが、嘉永2年(1849)4月18日、江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい)(葛飾應為おうい
に看取られて没しました。
 葛飾北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てた説と、崎十郎の娘 白井多知が建てたという説があります。墓石には「画狂老人卍墓」とあり、右側面には次の句が刻まれています。

 ひと魂で ゆく気散じや 夏の原

 昭和43年(1968)3月1日 東京都教育委員会



          GRAVE OF HOKUSAI KATUSIKA
 Hokusai Katusika was born Edo(Old Tokyo)in 1760 and died at a ripe age of ninety in 1849.He was a celebrated Ukiyo-e painter.His series of views of Mt.Fuji are favorite with foreign collectors.
 Oct.1969  TAITO WARD



所在地 台東区元浅草1-6-22 (白鷗高等学校) 

新堀小学校之跡
  昭和五十五年五月二十五日
       新堀小学校同窓会建之



所在地 台東区元浅草1-6-22 (白鷗高等学校)

  台東中学校跡碑
 
 沿革
昭和22年(1947)4月1日 新制中学校として都立第一女子高等学校(現都立白鷗高等学校)内に設置
昭和22年(1947)5月7日 第1回新入生165名で開校式並びに入学式を挙行
昭和24年(1949)4月11日 旧新堀小学校校舎を修復し授業を開始する
平成14年(2002)3月25日 台東区立台東中学校閉校式54年の歴史を終える
 台東区教育委員会



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