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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区元浅草4-6-9 (誓教寺)

 都指定旧跡
 葛飾北斎墓
          昭和2年(1927)4月指定



 江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など三十余ある。宝暦10年(1760)9月23日江戸本所割下水(墨田区亀沢)で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。14、5才の時彫刻師に学び、19の時に浮世絵師勝川春章の門に入った。このとき与えられた名前は「勝川春朗」で、画号は「春朗」、「宗理」、「画狂人」、「卍翁」など約30種類あります。寛政4年(1792)勝川春章が没したのち、狩野派の画法をひそかに学びしこと師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いた。
 肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。
 葛飾北斎は、生涯に住居を93回も引っ越しましたが、嘉永2年(1849)4月18日、江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい)(葛飾應為おうい
に看取られて没しました。
 葛飾北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てた説と、崎十郎の娘 白井多知が建てたという説があります。墓石には「画狂老人卍墓」とあり、右側面には次の句が刻まれています。

 ひと魂で ゆく気散じや 夏の原

 昭和43年(1968)3月1日 東京都教育委員会



          GRAVE OF HOKUSAI KATUSIKA
 Hokusai Katusika was born Edo(Old Tokyo)in 1760 and died at a ripe age of ninety in 1849.He was a celebrated Ukiyo-e painter.His series of views of Mt.Fuji are favorite with foreign collectors.
 Oct.1969  TAITO WARD

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