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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区柳橋1-5-1

御祭神  倉稲魂命
例祭日  6月初旬
御由緒
 当社の創起年代は詳らかでないが古記に「大川辺に高き丘あり篠生い茂り里人ここに稲荷神を祀る」とあれば悠久の昔より奉斎藤し奉りあり
正平年間新田義貞の家臣篠塚伊賀守重廣主家再興の祈請をなし来国光の刀を神前に捧げ社傍に庵を結びて出家し日夜参篭怠うす為にいつしか篠塚稲荷大名人と尊称するに至った  延宝9年(1681)3月神社別当僧たる伊賀守子孫に醍醐寺三宝院御門跡より篠塚山玉蔵院宗林寺の称号を賜り元禄6年(1693)2月本多紀伊守殿寺社奉行の折には御府内古跡地と定められたが明治初年(1868)神佛分離の際玉蔵院は廃せられた 古来より商売繁昌火防神として厚く尊崇奉る
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所在地 台東区柳橋1-19-2

  速水御舟 はやみぎょしゅう
 当地と想定される、浅草区浅草茅町2丁目16番地で、速見御舟は明治27年(1894)8月2日に生まれた。良三郎、いとの二男として出生し、本名を蒔田栄一といった。
 御舟は早くから絵に志し、明治41年(1908)14歳の時、松本楓湖の安雅堂画塾に入門。同画塾は浅草茅町2丁目31番地にあった。入門の翌年、師から禾湖の号を授かる。そして母方祖母の速見キクの養子となる。大正3年(1914)号を御舟と改め、このころから速見姓を称するようになったという。
 明治43年(1910)、16歳で作品を初めて展覧会に出品。翌明治44年(1911)出品の『室寿の宴』は一等褒状を受け、宮内省買上げとなる。大正6年(1917)第4回院展に『洛外六題』を出品し、横山大観・下村観山に激賞された。
 昭和10年(1935)将来を嘱望されながら40歳で没した。
 作品には、昭和52年(1977)国の重要文化財指定の『炎舞』『名樹散椿』などがある。
 平成7年(1995)3月 台東区教育委員会

          BIRTHPLACE OF HAYAMI GYOSHU
 Hayami Gyoshu was born on August 2,1894.From an early age his goal in life was to become a painter,so he and entered Angado Art School run by Matsumoto Fuko. He submitted a work for exhibition when he was sixteen years old.The work,entitled"MUROHOGI-NO-EN",which was exhibited the following year was highly acclaimed and purchased subsequently by the Imperial  Household Agency.In the sixth year of the Taisho Era,he exhibited his famous painting entitled"RAKUGAI ROKUDAI".He passed away in 1935,when he was only 40 years old,at a great loss to the Japanese art.Some of his works are desinnated as Important National Cultural Assets.




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