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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区寿1-21-1 鯉寺(龍宝寺)


  鯉塚
 嘉永6年(1853)3月29日 浅草新堀川龍寶寺門前附近四尺五寸程なる大鯉浮かびいたるを見て、町に人々大騒ぎとなり之を捕えんとせせいも大鯉暴れ容易に捕獲出来ず遂に船を出し血気の若者達数名川に飛び込み各自刃物竹槍等にて突き刺し漸く大鯉の弱りたるところを捕え河畔なる龍寶寺庭内大池に放ちやりしが、4月3日大鯉は遂に死せり。
 然るに近隣の者、その夜大勢集りてこれを食せしところ にわかに高熱にうなされ吐血する者も有り 40日余大いに苦しみたり。特に料理せし者のうち2人は同月16日に、他の4人は同月23日相継いで悶死せり。遺族の者達この不思議なる祟りにおどろき、ゆかりの者一同と心を合わせ鯉の霊を慰めんと龍寶寺境内に供養の碑を建て篤く弔いたり。
 やがて風聞日々に廣まり参詣する者次第に多く又不思議にもろもろの奇瑞をあらわし、とりわけ安産子育て開運出世縁結びなどには霊験あらたかなるにこれよりいつしか龍寶寺を鯉寺と呼び碑を鯉塚と言い傳えたり。
 然るに大正12年(1923)9月1日の大震火災にて碑は崩れ去り、昭和12年(1937)4月3日、1000人に及ぶ善男善女の結縁協力に依り昔にまさる鯉塚の再現となり。あらたに昇鯉観音堂建立も實現し江戸以来の舊跡復活なると信徒の者達大いによろこびいたりしも、無情なり日米開戦後、昭和20年(1945)3月10日東京大空襲の折再度崩壊の厄に逢い、爾来39年の星霜を経て今日に至る。
 然るに此度信徒の有志の人々大いに惜しく思いて今ひとたび再建の大願成就を期し、精進結集の祈り空しからず遂に機熟してここに入魂かがやく鯉塚の新姿を仰ぐに至れり。今よりは寺檀信徒相い共に一層心を戒しめ、江戸舊跡の保存傳承並びに昇鯉観音信徒に思いを致し、併せて各精霊の冥福を祈り、廣く世の人々の幸福を分たんとするものなり。
   龍門の瀧ならなくに龍寶寺
    登りてたつとなりし 鯉塚    鶯亭金升 
鯉塚建立
昭和59年(1984)10月14日吉祥日
龍寶寺第27世雲譽信丈謹記   會川富華謹書
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