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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

『 粧(よそおい)太夫碑
{蕋雲(ずいうん)女史書の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)}歌碑 』
         

 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
         島かくれゆく 船をしぞ思う


 有名な万葉歌人柿本人麻呂の和歌を万葉仮名で刻んだもので、骨太な文字を認めたのは、碑文にあるように蕋雲女史である。
 蕋雲は文化年間(1804~1817)、遊里新吉原の半松楼に抱えられていた遊女で、源氏名を粧太夫といい、、その号である。粧太夫として当時の錦絵にも描かれており、書を中山敬義に学び、和歌もたしなむ教養ある女性で江戸時代の代表的な文人、亀田鵬斎から蕋雲の号を送られたほどの人物であった。
 この歌碑は人麻呂を慕う太夫が、文化13年(1816)8月、人丸社に献納したものである。人丸社は幕末の絵図によると、三社権現(現在の浅草神社)の裏手にあったが、明治維新後に廃され、碑のみが被官稲荷神社のかたわらに移され、昭和29年(1954)11月、現在地に移された。
 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会

         MONUMENT TO YOSO-OITAYU
 (In memory of K.N.H Miss Zuiun,using calligraphy inscribed one of his Waka poems on this monument).

Honobonoto Akasi no ura no asagiri ni sima kakureyuku hune wo sizo omou

 The famous Man-yo poet,Kakinomoto no HItomaro inscribed this poem in ancient Japanese phonetic characters(Man-yo-gana) using the calligraphy of Miss Zuiun,an intellectual of that period.
 She was a courtesan and called Yoso-oi Tayu.Zuiun was her pen name.She was an excellent calligraphist,Waka poetess,and a caltured woman,sho was often depicted in coloured woodblock prints.
 This monument was offered to Hitomaro-sha(a shrine to worship Kakinomoto no Hitomaro) in August of 1816 by Yoso-oi Tayu who adored Hitomaro.The shrine was destoroyed after the Meiji Restorarion,except for this monument which ws moved have in November of 1954.

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