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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野公園14

 寛永寺旧本坊表門(国指定重要文化財)
 江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔伽藍が、整然と配置されていた。現在の噴水池周辺(竹の台)に、本尊薬師如来を奉安する根本中堂、その後方(現、東京国立博物館敷地内)に、本坊があり、「東叡山の山主である」輪王寺宮法親王が居住していた。寛永寺本坊の規模は3500坪(約1.15ヘクタール)という壮大なものであったが、慶応4年(1868)5月の上野戦争のため、ことごとく焼失し、表門のみ戦火を免れた。
 これはその焼け残った表門である。明治11年(1878)、帝国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると、正門として使われ、関東大震災後、現在の本館を改築するのにともない、現在地に移建した。
 門の構造は、切妻造り本瓦葺、潜門のつく薬医門である。薬医門とは、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間上部に束をのせ、その上に切妻屋根を乗せた門をいう。なお、門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていて、当時の先頭の激しさがうかがえる。
 平成8年(1996)7月 台東区教育委員会

   FRONT GATE OF HONBO IN KNEI-JI TEMPLE
 During the Edo period,barious buildings of Knei-ji temple were arranged in order where today Ueno Park is now located.Konponchudo,the main structure in which the principal image of Buddha was situated,existe about where the fountain now exists.Behind the fountain,where TokyoNational Museum stands today,was Honbo,the place for the head bonze to live in.Honbo of Kanei-ji temple was a grand and magnificent conxtruction.The building,however ,was lost in the fire of May 1868,which was caused by the war of Shogitai,and only the front gete of Honbo escaped destruction and  this is the gate that survived.It had been used as the main ectrance for the Tokyo National Museum since the museum was opened in 1878,but at the time of the museum's reconstruction,which was after the Great Kanto Earthquake of 1923,this gate was moved to its present location.
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