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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草橋1-29-11

  御祭神 誉田別命ほんだわけのみこと(応神天皇)
        武内宿祢命たけのうちすくねのみこと

  御神徳 商売繁盛 学業成就 健康長寿 家内安全
  


  御由緒  後冷泉天皇の御代

源頼義公、八幡太郎義家公は、兆手の命に依り奥州の安倍貞任、宗任を平定する為に奥州街道を下向の砌当地に至りました。当時このところは小高い丘で隅田川の流れを一望出来る絶景の場所であった。一休止のため陣をとりました時、川上より流れくるものを拾い上げてみますと銀杏の枝でありました。その枝をこの丘の上に差し立て都の氏神を遥かに拝み「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願し旅立ち安倍一族を平定の後、再びこの地に帰り至りました時丘の上に差した銀杏の枝葉大きく繁茂しておりましたので、義家公は御神恩に感謝し、この処に大刀一振を捧げ八幡宮を勧請いたしましたのが、康平5年(1062)当社の始と伝へられています。そしてこの銀杏は大樹となちまして、隅田川を上り下りする舟や街道を行き交う人々のよい目標となりましたが、時代は下り徳川家江戸入府後、元和4年(1618)この地は福井藩は松平家の屋敷となり、邸内社として尊崇されてまいりましたが、享保10年(1725)この地が公収され屋敷の跡地は町やとなり享保15年(1730)、時の町奉行大岡越前守様に依り福井町と命名され願いにより当社は地域の産土神として崇敬されてまいりました。大銀杏は延享2年(1745)9月14日台風のため中程より折れましたが、高さ6メートル位を残して繁茂しておりましたが、文化3年(1806)江戸大火の折焼失しました。



御祭礼は、江戸時代8月15日に執り行われていましたが、明治の中頃より6月15日にかわり、現在は原則として6月第1土曜、日曜日に執り行っています。

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