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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野桜木1-16-15 (寛永寺) 

  常憲院霊廟 勅額門・水盤舎



 5代将軍綱吉は、延宝8年(1680)5月に兄・家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永6年(1709)1月10日に63才で没した。法名を常憲院という。綱吉ははじめ、善政を行い「天和の治」と賛えられたが、今日では「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名。
 元禄11年(1698)9月、この綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立された。造営の奉行は柳沢吉保、私財の調達は紀之国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門である。又、それに伴って先聖殿(現湯島聖堂)が上野から湯島に移されている。
 綱吉の霊廟は宝永6年(1709)の11月に竣工したが、それは歴代将軍の霊廟を通じてみても、もっとも整ったものの一つであった。ただ、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失した。この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その廟所と共に、これらの災を免れた重要な遺構である。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
 台東区教育委員会 平成6年(1994)3月



  TOKUGAWA TSUNAYOSHI'S MAUSOREUM GATE PLAQUE
 The fifth Shogun Tokugawa Tsunayoshi constructed the Konpon Chudo Hall in Kan-eiji Temple in Takenodai area in September 1698.His mausoleum was completed in November 1709 and was one of the best arranged mausoleum among the other Shogun's.However,part of the mausoleum was desassembled after the Meiji  Restoration or burnt during the second World War.The Tsunayoshi's mausoleum gate plaque derectly written by the Emperor of the time (important cultural asset of the nation) was fortunately undamaged by the war and is very valuable.


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