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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中1-7-36

日蓮宗
 六浦山 延寿寺

 本堂

台東区有形民俗文化財
 延寿寺日荷堂の絵馬
     平成8年(1996)登録

 延寿寺は明暦2年(1656)に開創された日蓮宗寺院です。宝暦5年(1755)久遠寺に蔵されていた日荷像を勧請し、安永元年(1772)に日荷堂を建立して、本尊としました。
 日荷は武蔵国久良岐郡六浦(現横浜市六浦)の人で、日蓮の高弟、日祐の弟子となり妙法と号しました。六浦にて、自ら造立したニ躰の仁王像を背負い、一昼夜のうちに身延山久遠寺に運び上げ、山門に安置したと伝えられます。
 日荷堂の絵馬は、仁王像を背負い、六浦から身延山までの険しい道を歩いた日荷の健脚にちなんで、足病平癒の祈願のために奉納されたものです。日荷堂には現在、絵馬が75点、文字額が8点残されています。
 はきものの絵馬が残された寺社が多くありますが、この日荷堂のように種類・点数が豊富で、保存状態が良好なものは少なく、きわめて貴重です。
 延寿寺日荷堂絵馬群は平成8年(1996)に台東区有形民俗文化財に登載されました。
 平成17年(2005)3月 台東区教育委員会

 日荷堂

             Ema of Nikkado in Enjuji Temple
 Enjuji Temple is a temple established in 1656 by the Nichiren sect.Nikkado was built in 1772 and the Nikka statue was enshrined as the principal icon of the temple.Nikka was a person from the current Mutsura,which is situated in Yokohama-city,Kanagawaprefecture.According to legend,he carried two Deva Kings he created to the Kuonji Temple in Mt.Minobu(Yamanashi prefecture)on his shoulders and enshrined them in the temple gate in a single day.
 The Ema(pictures with frames)given to Nikkado were dedicated for prayers for recovery from foot/reg diseases,as symbolized by the strong legs of Nikka who walked the rough road from Mutsura to Mt.minbu with the two Deva Kings on his shoulders,Currently,83 Ema remain in Nikkado.
 There are many Buddhist temples and Shinto shrines with Ema related to shoes,but Nikkado is extremely valuable due to its abundant types and numbers of well-preserved Ema,which is very rare.The Ema of Nikkado of Enjuji Temple were registered as a tangible folk cultural asset of Taito-ku in 1996.

  日荷堂「足腰病守護日荷上人安置之所」
 健脚の神様として知られる日荷承認が祀られる「日荷堂」は、宝暦5年(1755)身延山より日荷上人尊像を勧請し、以来、江戸の人びとの足腰の病平癒の祈願所として親しまれてきました。堂内には、健脚祈願や祈願成就に感謝した人びとにより奉納された幾つもの絵馬がかけられております。この絵馬群は平成8年(1996)に台東区の有形民俗文化財として登録されました。
 現在の日荷堂は、明治44年(1911)に再建されたものです。

  日に上人「にちかさま」
 日荷上人が、「健脚の神様」「足腰病守護の神様」と呼ばれるようになった由縁は、ある夜、六浦妙法(日荷上人という損傷を授かる前の法名)の夢枕に仁王尊が現れました。
 「われは称名寺の仁王だが、改宗して身延山の守護神になりた。おまえの力でなんとか身延山に送り届けてほしい」とのお告げでした。早速そのお寺に「仁王をいただきたい」とかけあったのですが、聞き入れてもらえません。そこで一策。和尚が囲碁好きということを耳にした妙法は、仁王像を賭けた勝負を挑んだのでした。なんとか妙法が勝ち、約束どおり仁王を貰おうとするも、和尚は「あれは冗談」と取り合いません。さらには、「あんな大きい仁王を担ぎ出せる訳がない」とも。しかし妙法は山門から仁王尊ニ体を担ぎ出し、それらを背負うこと三日三晩。横浜の地から身延山まで、歩き通し奉納に成功したのでした。ことの次第を聞いた身延山の法王はたいそう驚き「日荷」の尊称を授けたそうです。日荷上人は人々の厄難、災いは背負い去り、福を授けるのです。(厄除け、方位除け)また足腰病守護、健脚祈願はもとより、現代社会の足である乗り物の交通安全、車体安全等にも霊験あらたかです。
 六浦山 延壽寺 日荷堂
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