東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺) 当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。慶安2年(1649)3代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けた。平成6年(1994)、現在の場所に移転した。 現在の建物は、桁行三間(約5.35メートル)、梁間三間(約5.10メートル)、屋根は入母屋造、瓦葺。外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会 HASHIMOTO YAKUSI-DO TEMPLE This is a temple which houses a seating figure of Yakushi Nyorai (Physician of Souls).In 1649 it was reconstructed near a bridge,since then it has been called Hashimoto Yakusi-Do:a Yakushi Nyorai temple of worship at the foot of a bridge. This temple was built in the precincts of Sensoji temple following Niten mon gate (important national cultural asset),and Rokkoaku-Do temple (metropolitan tangible cultural asset),and of the same era as Asakusa Shrine (important national cultural asset). PR |
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永山
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