東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区上野公園2-1 (上野恩賜公園 弁天島) ふぐ供養碑 世俗に「ふぐは喰いたし命は惜しむ」という文句がありますが昔は相當多くの中毒死者を出したものであります。私共ふぐ料理業者はこの天下の珍味のふぐを安心して都民の皆様に料理して提供した。念願から昭和5年(1930)ふぐ料理連盟を結成し古来秘密にされていた調理法も講習会などを開催してふぐの毒素を除去する調理法を組合員に公開。完全調理したふぐは安心であることを世人に認識せしめたのであります。 大東戦争の祈り、食糧難のため東京都に於て雑炊食堂開始にあたり當連盟は率先之に加わり活漁場に今迄廃棄していたふぐを中央市場に出荷するよう要請し完全除毒したふぐの雑炊を一般都民の方々に供し食料難の一端に寄與したのであります。斯してふぐの需要性に年々増加の一途を辿り中毒者は極限されてきたのであります。昭和24年(1949)東京都衛生局より當連盟に對り、ふぐ調理師試験實施について協力方の要請があり連盟は社会公共福祉のため全幅の支持をもってこれが實現を圖り努力を続けた結果今日では東京都のふぐ中毒者は皆無になった次第であります。私どもはこの天與の玉饌として天分を果たした幾千萬のふぐの霊に満腔の感謝を捧げ今後絶対安心してふぐを召し上がられることを祈念し茲に別記会員有志の協力によってふぐ供養碑を建立した所以であります。 昭和40年(1965)9月 日建之 東京ふぐ料理連盟 会長 宮崎 登 識 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|