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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中4-2-37 (永久寺)

仮名垣魯文墓
 幕末・明治時代の戯作者、新聞記者。本名は野崎文蔵、号を鈍亭。猫々道人などといった。文政12年(1829)江戸京橋の生まれ。長じて商家に奉公したが、戯作者を志し、式亭三馬や十返舎一九などの戯作を耽読、諸方を遊歴して作家生活に入った。蔓延元年(1860)「滑稽富士詣」を書いて世に出た。
 明治時代になると、当時の文明開化の世相を風刺した「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」等の作品を発表、明治開花期の花形作家となった。のち、ジャーナリズムの世界に転じ、「横浜毎日新聞」「仮名読新聞」「いろは新聞」「今日新聞」などに関係し軽妙な文章で活躍。明治12年(1879)発表の「高橋阿伝夜叉譚」は世上を賑わせた。明治27年(1894)11月、66歳で没し、当寺に葬られた。



 墓石には、聖観音を線刻した板碑(13~16世紀頃に追善のため造られた供養塔)がはめ込まれている。
 本堂右側の山猫めをと塚は、夫婦の飼猫の供養の碑で、福地桜痴の碑文が刻されている。
 平成4年(1992)11月 台東区教育委員会



          The Grave of Kanagaki Robun
 Kanagaki Robun was a fiction writer and journalist at the end of the Tokugawa period and beginning of the Meiji period.His real name was Nozaki BUnzo and he was born in Kyobashi in Edo (old Tokyo)in 1829.He was apprenticed to a merchant,but aspered to fiction writing and eventually started a novelist's lifestyle,reading cheap literature and travelling around.
 In 1860 he wrote his humorous work"Kokkei Fujimode"which established his name and in the Meiji period he published works such as "Seiyo Dochu Hizakurige"and "Agura Nabe"which satirized the "civilization and enlightenment"occuring in Japan at the time.
 These works made him a popular novelist of the period.Later,moving into the world of journalism he was active writing witty prose for various newspapers.
 He died in 1894 at the age of 66 and his grave is in this temple.
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