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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区橋場2-1

 隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。対鷗荘(対鴎荘)もその1つで、明治時代の政治家三条実美(1837~1891)の別邸であった。
 「征韓論」をめぐって、政府内に対立が続いていた明治6年(1873)の10月、太政大臣の要職にあった実美は心労のあまり病に倒れ、この別邸で静養していたが、明治6年(1873)12月19日明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れている。
 隣りの碑は、この事跡を顕彰して、のち対鷗荘(対鴎荘)の所有者となった一市民の尽力によって建立されたものである。高さ3メートル余。側面に「昭和6年(1931)歳次辛末5月建立石井久太郎」、裏面に「多摩聖蹟記念館顧問中島利一郎謹撰 上条修徳謹書」の碑文が刻まれている。

 対鷗荘(対鴎荘)は、昭和3年(1928)、白髪橋か教興寺に伴い、多摩聖蹟記念館(多摩市連光寺)に移築された。
 平成7年(1995)3月 台東区教育委員会



       REMAINS OF TAIOSO
 Taioso was the villa of sanjo Sanetomi(1837-1891),statesman in the Meiji Era.He fell ill in October of 1873 and rested quietly in this villa.the Emperor Meiji was very anxious about his health and visited this villa himself to comfort Sanjo.This monument was created by a citizen who owned the villa later to commemorate the Emperor's visit.The villa was relocated to the Tama-Seiseki-Kinenkan at Tama City to allow the construction of the Shirahige Bridge in1928.
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