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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区今戸2-6-12 (称福寺)

台東区史跡
 柴田是真墓しばたぜしん
        平成8年(1996)


 柴田是真(しばたぜしん)(1807~1891)は、幕末から明治時代に活躍した絵師・蒔絵師。文化4年(1807)2月7日、橘町2丁目(中央区東日本橋)に生まれ、11歳の時に蒔絵師古満寛哉(こまかんさい)に師事して技術を学び、文政5年(1822)には絵師鈴木南嶺(すずきなんれい)について円山四条派の画技を修した。さらに文政13年(1830)には京へ上り、岡本豊彦にも師事している。その後、浅草平石衛門町石切河岸(浅草橋1丁目)に居を定め、居宅を「対柳居(たいりゅうきょ)」と名付けた。没するまでの50余年間、ここで数々の名品・優品を制作した。
 是真は、創作活動だけでなく、漆工技術の普及・発展を目的とした「日本漆工会」を創設し、「竜池会」(日本美術境界の前身)や、「東洋絵画会」の設立に尽力するなど、美術界の公的活動に貢献した。さらに、後進の指導にも力を注ぎ、美術界の発展にも寄与した。
 明治24年(1891)7月13日、85歳で没すると称福寺に葬られた。柴田家の墓地には、2基の墓標が建てられているが、向かって左側が是真の墓で、正面には是真の法名「弘道院釈是真居士」が刻まれている。
 平成8年(1996)、台東区史跡として区民文化財台帳に登載された。
 平成20年(2008)3月 台東区教育委員会

      Graave of Zenshin Shibata(Important historic site of Taito City)
 Zenshin Shivata(1807-1891)was a famous painter,print maker and lacquereran artist and artisan of remarkable skill-active from near the end of the Tokugawa Shogunate to the middle of the Meiji era.He was not only a master in the creation of gold lacquer work,but also very energetic in the development and promotion of new techniques in the field of lacquering.He established th Japan Lacquerware artists Society,and assisred in the establishment of the Ryuchikai(Forerunner of the Japan Art Society)as well as in the creation of Tokyo Kaiga Kai(Oriental Art Society),in order to advance the artistic community and its members.He died on July 13,1891 at the age of 85,and was buried here in the Shofukuji Temple grounds.There are two gravestones in the cemetery plot of the Shibata Family;the one on the left hand side is Zeshin's -it was listed in the ledger of the city's cultural assets as an important site of Taito City in 1996.
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