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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

「社殿」 重要文化財

「柏板(びんざさら)」 都指定無形民俗文化財

<御祭神>

土師真中知命(はじのまつちのみこと)

桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)

桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)

東照宮(権現様、徳川家康)

  

 推古天皇36年(628)、桧前の浜成・竹成兄弟は隅田川で浅草観音の像(浅草寺の本尊)を網で拾い上げた人物、真中知はその像を安置して浅草寺(せんそうじ)を創建したと伝えられる。土師真中知命(はじのまつちのみこと)・桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)の三神を祀る神社であるから、「三社様」と呼ばれた。鎮座年代は不詳。鎌倉時代末期には祭礼が行われたという記録がある。東照宮は権現様すなわち徳川家康のことで、慶安2年(1649)に合祀された。以来、三社大権現といい、明治元年(1868)三社明神、明治6年(1873)浅草神社(あさくさじんじゃ)と改称した。
 
慶安2年(1649)に完成した現在の社殿は、徳川家光が再建したもの。建築様式は、本殿と幣殿とは接続しているが、幣殿と拝殿とは分離し、その間に渡廊下「石の間」(弊殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造となっている。朱漆仕上げで、本殿と幣殿の内法長押以上は極彩色である。この社殿は江戸時代初期の代表的権現造として評価が高く、国の重要文化財の指定に指定されている。
 
毎年5月17・18両日の大祭は、江戸時代から「三社祭」と呼ばれ、特に第三日曜には、本社神輿の宮出し・宮入りがあり、氏子町内の百基余の町神輿も集り、拝殿では都指定無形民俗文化財「柏板(びんざさら)」の奏演という神事舞も行われ、人々が群集し、賑やかである。
  
台東区教育委員会


 浅草神社境内には『河竹黙阿弥顕彰碑』、『久保田万太郎句碑』、『初代花柳壽輔句碑』、『初代市川猿翁句碑』、『初代中村吉右衛門句碑』、『粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)』、『扇塚』、『神木『槐』の木』、『川口松太郎句碑』、『花塚』、『『友情はいつも宝物』碑』、『檜前の馬牧』があります。

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