東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区蔵前~墨田区 蔵前(くらまえ)の名は、幕府の御米蔵がこの地にあったことに由来する。その蔵の前の地というのが、地名にもなったのである。 この御米蔵は、元和年間に大川端を埋立てて建てられたが、盛時には、数十棟もの蔵が建ち並んでいたという。ここに関東各地から舟運によって、米が集積されたのである。 近代になって、政府関係など倉庫となり、その中には浅草文庫地宇書庫などもあった。 蔵前の地は、札差たち江戸商人発展の地であり、いきや通(つう)のあふれた土地柄となってきた。近代においても、大震災や戦災などの惨禍をのりこえて、種々の商品の問屋街として繁栄をつづけてきている。 大震災復興事業の一環として、新しい構造の橋が、昭和2年(1927)に完成して、今日に至っている。 昭和58年(1983)3月 東京都 富士見の渡し 富岳三十六景より PR |
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永山
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