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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野公園18 (現龍院墓地)

  殉死者の墓
 慶安4年(1651)4月20日、3代将軍徳川家光が死去した。その後を追って家光の家臣5名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣4名と、その家臣8名の墓がある。
堀田正盛(元老中。下総国佐倉藩主)。
阿部重次(老中。無策国岩槻藩主)。家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某。
内田正信(小姓組番頭・御側出頭。下野国鹿沼藩主)。家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助。
三枝守恵(元書院番頭)。家臣の秋葉又右衛門。
 殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。家光への殉死から12年後、寛文3年(1663)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
 平成16年(2004)3月 台東区教育委員会

    Tombs of the vassals who follwed their master to the grave
 The third Tokugawa shogun Iemitsu died in1651.After that,five of his vassals committed suicide to follow him;besides,their vassals and family members also killed themselves to follow them.There are tombs of four vassals of Iemitsu and tombs of their eight vassals here.
 It is called"Junshi"in Japanese that vassals and family members kill themselves to follow their master to the grave after his death and such people were admired as a loyal person.It was common especially for samurais to commit hara-kiri after their master died in a war.Since numbers of such people increased even in Edo period,the gavernment prohibited this custom in 1663.Later it almost desappeared.
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