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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中7-14-8

天台宗
 護国山 天王寺

 日蓮上人はこの地に住人、関長耀の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長耀は草庵を結び、その像を奉安した。ー伝承による天王寺草創の起源である。

大仏

 一般には、室町時代、応永(1394~1427)頃の創建という。『東京府志料』は「天王寺 護国山ト号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ本日蓮宗ニテ長耀山感応寺ト号シ 応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。

本堂

 東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで”富くじ”興行が開催された。目黒の滝泉寺湯島天神の富とともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。

毘沙門堂

 元禄12年(1699)幕府の命令で、感応寺は天台宗に改宗した。ついで天保4年(1833)、天王寺と改めた。境内の五重塔は、幸田露伴の小説、『五重塔』で知られていた。しかし昭和32年7月6日、惜しくも焼失してしまった。
 平成4年(1992)11月  台東区教育委員会



      Gokokusan Tenno-ji Temple

 When the Buddhist saint Nichiren stayed at the house of Seki Nagateru,the lord of this area,he carved a sculpture of himself and Nagateru built a hermitage in which he enshrined the sculpture.This was the origin og Tenno-ji Temple,which is generally said to have been established in the Muromachi period between 1394 and 1427.Among the temples still extant in Tokyo there are few which were founded before the Edo period(1600-1868),so Tenno-ji is one of the few ancient temples left in the metopolis.

守務所

 Tenno-ji was originally called Kanno-ji,but in 1833 in accordance with a decree by the Tokugawa government,its name was changed and its seet altered from the Nishiren sect of Buddhism to the Tendai sect.
 During the Edo period public lotteries were held here,so along with Ryusen-ji Temple in Meguro and Yushima Tenjin Shrine in Ueno it was famous as one of the "Three Lotteries".



 境内には『銅造釈迦如来坐像』が、境外墓地内には『天王寺五重塔跡』あります。
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