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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中7-7 (了俒寺)

   中村正直墓(都指定旧跡)
 明治時代の教育者、啓蒙学者。天保3年(1832)幕臣中村武兵衛の子として江戸に生まれ、幼名を釧太郎、名を正直、号を敬宇という。昌平坂学問所に入り、佐藤一斎について儒学を学ぶ。慶応2年(1866)幕府の英国留学生派遣に取締として同行、英国市民社会の実情に触れた。
 明治5年(1872)新政府に出仕し、大蔵省翻訳御用を務めるかたわら、翌年、家塾同人社を開いた。女子高等師範学校(現、お茶ノ水女子大学)校長就任、訓盲院の開設など女子教育、障害者教育にも力を注ぎ、東京帝国大学教授・元老院議官・貴族院議員も歴任した。
 明治24年(1891)6月7日、60歳で病没。葬儀は神葬で行われた。
 正直は、西周・神田孝平らと明六社を起こし、啓蒙思想の普及に務め、日本近代化に貢献した。
   訳著書に『西国立志編』『事由之理』などがある。
 平成7年(1995)3月  台東区教育委員会

     TOMB OF NAKAMURA MASANAO
      (Metropolitan Historical Site)
 Nakamuea Masanao was a Meiji Era educator and enlightenmento scholar,born in 1832 in Edo.In 1866,he accompanied Jappanese students to England as a chaperone and experienced the civil society of England.In 1872 he was employed as an interpreter by the Meiji Government.The next year established Dozinsha and made efforts to educate women and handicapped people.He worked as a professor at the Tokyo Imperial University,as a member of the senate,and as a member of the Upper House.He died at the age of 60 on the 7th of JUne in the 24th yeat of the Meiji Era. 
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