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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区谷中7-14-8 (天王寺)

台東区有形文化財
 銅造釈迦如来坐像
     平成5年(1993)

 本像については、『武江年表』元禄3年(1690)の項に、「五月、谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳」とあり、像背面の銘文にも、制作年代は元禄3年(1690)、鋳工は神田鍋町に住む大田久右衛門と刻まれている。また、同銘文中には「日遼」の名が見えるが、これは日蓮宗感応寺第15世住持のことで、同寺が天台宗に改宗して天王寺と寺名を変える直前の、日蓮宗最後の住持である。
 昭和8年(1933)に設置された基壇背面銘文によれば、本像は、はじめ旧本堂(五重塔跡北方西側の道路中央付近)右側の地に建てられたという。『江戸名所図会』(天保7年〔1836〕刊)の天王寺の項には、本堂に向かって左手に描かれており、これを裏付けている。明治7年(1874)の公営谷中墓地開設のため、同墓地西隅に位置することになったが、昭和8年(1933)6月修理を加え、天王寺境内の現在地に鉄筋コンクリート製の基壇を新築してその上に移された。さらに昭和13年(1938)には、基壇内部に納骨堂を増設し、現在に至る。
 なお、「丈六仏」とは、釈迦の身長に因んで一丈六尺の高さに作る仏像をいい、坐像の場合はその二分の一の高さ、八尺に作るのが普通である。
 本像は、明治41年(1908)刊『新撰東京名所図会』に「唐銅丈六釈迦」と記され、東京のシンボリックな存在「天王寺大仏」として親しまれていたことが知られる。
 平成5年(1993)に、台東区有形文化財として、区民文化財台帳に登載された。
 平成8年(1996)3月  台東区教育委員会



       COPPER SEATING FIGURE OF BUDDHA
 This figure was created in 1690 by Ota Kyuemon,who lived in Kanda Nobecho.
 The inscription on the base of the fugure rells that it was first set up to the right of the old main temple.This would now be about in the centre of the present west side road to the north of the remains of the five-storied pagoda of Ten-noji temple.In 1874 the figure was moved to the western corner to open Yanaka cemetery.In June of 1933 it was repaired,moved to the present site and placed on a newly built ferroconcrete base.In 1938 the charnel house was built in the base.
 In The Edo and Meiji eras the figure was repeatedly reported in various documents and books and has been very popular among people as "Ten-noji Daibutsu."
 It was registered as a tagible cultural asset in 1993 in the Book of Cultural Assets of Taito City. 
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