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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野桜木1-14-11

    上野東叡山寛永寺
 天台宗の関東総本山。徳川歴代将軍の菩提所。寛永2年(1625)天海僧正の創建です。江戸時代、上野の山全体が寛永寺境内でした。創建当時は江戸城の鬼門を守る祈願所でしたが、のちに芝の増上寺とともに将軍家の菩提所にもなりました。
 寺名は、「寛永」の年号をとってつけられ、山号の東叡山は、天台宗総本山比叡山延暦寺にならい東の叡山という意味です。
 江戸時代最盛期の寛永寺は、子院三十六ヵ院(今は十九ヵ院)と本坊、根本中堂、文殊楼(吉祥閣)などの豪華な建造物をほこり、これを総称して寛永寺と言っていましたが、慶応4年(1868)5月15日の上野の戦争(彰義隊の戦争)により殆どの建物が焼失し、一部を残して新しく上野公園となりました。



 今の寛永寺本堂は、明治12年(1879)に天海僧正ゆかりの川越(埼玉県)の喜多院から本地堂(薬師堂)を子院であった大慈院の地に移築したもので、寛永15年(1638)の建造物といわれています。



  縁起   江戸開府400年記念
     東叡山寛永寺
 元和8年(1622)、徳川幕府2代将軍秀忠が、上野後を天台宗の僧天海に寄進したことから、寛永寺の歴史は始まります。本坊は寛永2年(1625)に竣工。根本中堂の完成は元禄11年(1698)のことです。江戸末期までの寛永寺は、いまの上野公園をはじめ、その周辺にも堂塔伽藍や子院が立ち並ぶ文字通りの巨刹であり、徳川将軍家ゆかりの寺にふさわしい威容を誇っていました。明治維新の際の上野戦争で大半が炎上し、その後明治政府の命令で境内も大幅に縮小され(約3万坪、江戸時代の十分の一ほど)現在に至っています。江戸開府400年を記念し、往時の寛永寺を描いた錦絵などで、江戸と現代を比較しつつここに寛永寺の歴史を紹介致します。



 境内には『本堂』、『銅鐘』、『慈海僧正墓』、『虫塚』、『尾形乾山墓碑・乾山深省蹟』、『了翁禅師塔碑』があります。
 境内墓地には
常憲院霊廟奥奥院
   5代将軍 徳川綱吉公(常憲院殿)墓所
   8代将軍 徳川吉宗公(有徳院殿)墓所
 13代将軍 徳川家定公(温恭院殿)墓所

 13代将軍 徳川家定公正室 天璋院篤姫墓所
厳有院霊廟奥院
   4代将軍 徳川家綱公(厳有院殿)墓所
 10代将軍 徳川家治公(浚明院殿)墓所
 11代将軍 徳川家斉公(文恭院殿)墓所)

厳有院霊廟 勅額門・水盤舎』、『常憲院霊廟 勅額門・水盤舎』があります。
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