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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野桜木2-6-4

    縁起
昔は高重院、其後寛文6年(1667)圭海大僧都開基東叡山丗六坊の浄圓院と称し、寺領二百万石を賜う。5代将軍綱吉公の母寳樹院菩薩所となり、寛海和尚は養善院に移住さる。寛文12年(1673)当山第一世妙立和尚安楽律の新法門を唱導。之に對し山徒頻に誹謗せしが、妙立門下霊空和尚出で師説を顕揚す。
当時日本佛法の大王輪王寺宮の大御心を動かし奉るに到り、遂に享保8年(1723)御令旨に依り安楽一派を興立し、当山は浄名律院と改称し建立さる。又一山一ヶ寺の制を設けて、比叡山に安楽律院、東叡山に当山、日光山に興雲律院の三院県立本山とし、徳川幕末の本院棹尾の偉観を呈す。大明院宮、崇保院宮、隋宜楽院宮、御三代法親王の御崇敬を仰ぐ。殊に崇保院宮は地蔵信仰深く自ら尊藏を画き江戸府内院に賜り毎月廿四日(24日)の縁日はそれより始まる。
当山丗八世妙運和尚自他の人を合せ、8万4千の石地藏尊を建立し、上は佛祖の供恩に酬い、下澆末の衆生を救わんとして発願さるや、直に北白川宮能久親王殿下の拾数体奉納あり。徳川、小松、一條、近衛、毛利等各家の奉納に倣い、各界の人之に続き建立今日に至る。
境内には明治初年神佛分離に際し、江戸六地藏六番(永代寺富岡八幡宮の別当寺)は廃寺となり、地藏尊も破壊され、以来当寺に江戸六地藏第六番として再造された。
 江東区第五編第八章宗教1625頁に当時の地藏尊の背面銘文が書かれているので之を記す。
 東叡山 浄名院



あらい地蔵

江戸第六番地蔵尊
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