東京都台東区の歴史
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都旧跡
江戸時代著名な俳歌師、六樹園を称し、字(あざな)を子柏といった。五老斎、逆旅主人または蛾術斎と号した。また石川五郎兵衛といい狂歌を蜀山人に学び狂名を宿屋飯盛といった。小伝馬町3丁目の旅館糟屋七兵衛(画名を石川豊信)の子として生れ、青年期には行状放逸で、父の死に逢って学問を好むようになったという。しかし、強訴(ごうそ)を援助したという嫌疑をうけ、しばしば法廷によばれ、ついに江戸を追われて多摩群府中に住むようになった。彼はここで和歌を学び、晩年狂歌をよくした。著書には「源注余滴」「雅言集覧」などがあり、戯著小説類も数種ある。文政13年(1830)閏(うるう)3月24日歿。年78。
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永山
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男性
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