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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区池之端2-5-43

忠綱寺(『渡邉の綱』・『槍の半蔵』由縁の寺)
 當、忠綱寺は人皇52代に始まる所謂嵯峨源氏の流れをくみ左大臣源融から4代後の源綱が摂津の国、渡邉に住まいしたところから姓を渡邉と名乗るようになる。羅生門の鬼退治で有名な「渡邉の綱」がこの源綱である。更にこれより23代目が渡邉半蔵源守綱である。譜代である徳川家康に弘治3年(1557)16歳で出仕する。桶狭間の戦いより2年後の永禄5年(1562)三河八幡の戦いで今川の将、板倉弾正の率いる敵と戦い防戦一方になる時その殿りを任せられる、半蔵大いに奮闘し敵将山下八郎三郎と鎗を合わせその首級をあげその間に味方の士を数十人救って無事退却させた、家康大いに称揚し以後「槍の半蔵」の異名で知られることとなる。この後3千石を武蔵比企にて賜り更に数々の武功により凡そ1万4千石を各知行地併せて領す。息重綱、孫忠綱と続く、忠綱は悉地の内より3千石を分領されるが20才にて夭折する。弟大学が兄の所領「武蔵比企」を継ぎ丹後守吉綱となる、兄想いの吉綱は神田台に渡邉院忠綱寺と名を冠し一寺を建立しその菩提を弔った。その後下谷池之端の現在地に移ったものである。
 吉綱は4代将軍家綱の信任を受け御小姓番頭、御書院番頭と進み大阪定番となりまして1万石の加増を受け和泉国伯太藩1万3千5百余石の大名になり明治まで続く。
 ☆参考文献 
寛政重修諸家譜  天保武鑑
新編武蔵風土記   御府内寺社備考続編
 ☆本尊    
阿弥陀如来 三河国高綱山證誠院了善寺に在りし阿弥陀仏を丹後守領内のゆえ彼の地より移して安置する。恵心僧都の作と伝えられる。
   貞宗大谷派  向岡山渡邉院忠綱寺  住職 渡邉願勝
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