東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 台東区池之端2-5-30 浄厳律師墓じょうごんりっしはか(妙極院) 浄厳律師は、江戸時代の真言宗を代表する高僧の1人である。寛永16年(1639)、河内国錦部郡鬼住村に生まれる(現大阪府河内長野市)。俗姓上田氏。慶安元年(1648)、高野山で悉地院雲雪を師として出家した。字は覚彦。諱は雲農、のち浄厳。妙極堂などの号がある。修行・学問に努め、『法華経秘略要鈔』『悉曇三密鈔』『諸真言要集』など多数の著作がある。特に悉曇学(梵字・梵語の音声いや書法の学問)に大きな業績を残した。 寛文11年(1671)下山して、各地で教化に努めた。元禄4年(1691)、柳沢吉保の邸宅で5代将軍徳川綱吉に謁見して、普門品(観音経)を講じた。綱吉は深く帰依し、浄厳を開基として、霊雲寺を創建した(文京区湯島2丁目)。元禄11年(1698)、幕府より霊雲寺墓所地として当地を拝領(1300坪)、妙極院が創建された。 元禄15年(1702)6月27日、64歳で没した。当地のほか、教理の延命寺にも墓がある(大阪府河内長野市)。 平成21年(2009)3月 台東区教育委員会 The Grave of Priest Jogon Jogon(1639-1702)was one of the most renowned priests of the Shingon sect during the Edo Period(1603-1868).Born in the domain of Kawachi (present-day Osaka),Jogon joined the priesthood at Kongobuji on Mt.Koya.He trained in both the ascetic and academic aspects of Buddhism,authoring many works.He is particularly well-versed in the Sanskrit language,leaving his mark on the Sanskrit studies in Japan.In 1691 he gave lectures on Buddhist sutras before Tokugawa Tsunayoshi,the Shogunof Japan at the time.In the same year,with Tsunayoshi's help.Jogon constructed Reiun-ji Temple in yushima.In 1698,he was granted this land by the Shogunate to serve as gravesite at Reiun-ji Temple,and went on to build Myogoku-in Temple.Jogon passed away in 1702. PR |
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永山
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