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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区浅草2-3-1 浅草寺  新奥山

  瓜生岩子女子(うりゅういわこじょし)
 岩子は通称。正しくは”岩”という。文政12年(1829)2月15日、岩代耶麻(いわしろやま)郡(現在の福島県耶麻郡)熱塩村渡辺家に生れたが、9才の時、父を失い、母は岩を連れて生家へ帰った。そのため、岩は母方の姓瓜生氏を称した。14才の時、若松(現福島県会津若松市)の叔母に預けられ、その夫で会津藩侍医を勤める山内春瓏の薫陶を受け、堕胎間引きの防止に関心を持つに至る。17才で佐瀬茂助を婿に迎え、若松で呉服屋を営み、一男三女を生んだが、早くに夫を亡くした。明治元年(1868)会津戦争で孤児となった幼童の教育に尽力したほか、堕胎等、当時のさまざまな悪習を正し、明治22年(1889)貧民孤児救済のため福島救済所を設立するなど、社会事業の推進に努めた。
 
明治30年(1897)4月19日、福島で没す。享年69。生涯を慈善事業に捧げた岩の善行を賞揚し、明治34年(1901)4月、篤志家によって、浅草寺境内にこの銅像が造立された。台石正面には、下田歌子女史の撰文を刻む。
 
平成8年(1996)7月 台東区教育委員会

        BRONE STATUE OF URYU IWAKO
 Uryu Iwako was born in Kitakata,Fukushima Prefecture on February 15,1829.Iwako was her popular name,and her real name was Iwa.At the age of nine,she lost her father,and her mother went back to her parents' home together with Iwa.When she was 14,she was entrusted to her aunt,and was educated by her uncle-in-law,who was a doctor in the Aizu clan.
 After the Meiji Restoration,she exerted dfforts for the eduction of young girls in the Aizu clan and also established the Fukushima Relief Facility for the assistance to the poor and orphans.She also founded the midwifery research institute and the Saisei Hospital in Kitakata,thereby promoting social work.She died in Fukushima on April 19,1897.To praise the good conduct of Iwa,who devoted her shole life to charitable work,this bronze statue of her was erected here in April 1901.

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