東京都台東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 神輿まつまの どぜう汁すゝりけり 久保田万太郎先生は市井のひとを愛し とくに また ふるさとをおなじくする浅草ッ子を愛した ここに駒形どぜう 越後屋 五代 助七 その生前の厚誼をしのんで 先生をしたう情は まことに涙ぐましいものがあるが 昭和四十一年初夏 この句にゆかりの三社祭の吉日に当って駒形どぜうの店の前に いま 先生の句碑を立てる 旧称田原町三丁目なる先生の生家にもっともちかくこの句碑の立てられたことは さだめし先生も喜ばれていることと思われる ここにつつしんでこれをしるす者は おなじく浅草ッ子のひとり 昭和41年(1966)5月17日 安藤鶴夫
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永山
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