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東京都台東区の歴史
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所在地 台東区上野公園 (京成上野駅)

 この陶板レリーフは、メキシコ壁画界の大家ルイス・ニシザワによって製作された。鯉のぼりは不屈の大和魂を折紙の風車は未来のエネルギーである原子の力をそれぞれ象徴し、力強く生きる子どもの生命力とその宇宙を表現したものである。

 製作に際しては、信楽の登窯が用いられた。

          1981年9月26日

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所在地 台東区浅草2-3-1  (浅草寺)

 阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる仏さま。
 この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として元禄6年(1693)に1,000人近い信徒によって建立された。もとは本堂裏にあったものを、平成6年にこの地に奉安した。総高7.5m。極楽往生の諸霊の頓証菩提を祈る。 金龍山 浅草寺

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 影向堂(ようごどう)は、平成6年(1994)に浅草寺中興開山慈覚大師生誕1200年を記念して建立されました。聖観音菩薩像を中心に生れ年十二支生まれ年の守り本尊八体の像(影向衆ようごうしゅう)をお祀りしているお堂です。影向とは影が形にしたがい、響きが音に応ずるように仏さまの大きなお力が、それぞれの人の機縁に応じて現れ、利益を与えて下さる事であります。十二支に応じて八体の影向尊がおられるところから影向堂と名づけられました。
 お堂の上、棟飾りには、火伏せの咒まじないとされる金箔押しの鴟尾しびを置く。鴟尾を取り付ける際は不思議と雨を呼ぶといわれており、平成6年(1994)夏の建立時も記録的な日照りであったが、鴟尾を取り付けると突如として雨が降り、人々を感動させた。

 <子(ね)>
千手観音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)  縁日17日
無数の御手により私たちの苦を除いてくださる。

 <丑(うし)・寅(とら)>
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)  縁日13日
福徳と知恵を無量に蔵し私たちに与えてくださる。

 <卯(う)>
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)  縁日25日
ものごとの真相を正しく知る知恵をお持ちでそれを授けてくださる。

 <辰(たつ)・巳(み)>
普賢菩薩(ふげんぼさつ)  縁日14日
慈悲の心をもって私たちに延命福寿の幸せをお約束くださる。

 <中尊>
聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)  縁日18日
大慈大悲のお心をもって私たちの苦を除き安楽を与えてくださる。

 <午(うま)>
勢至菩薩(せいしぼさつ)  縁日23日
阿弥陀(あみだ)さまの脇侍(きょうじ)として知恵をもって私たちをお救いくださる。

 <未(ひつじ)・申(さる)>
大日如来(だいにちにょらい)  縁日28日
密教の仏の世界を綜合する根本仏としてのはたらきをなさる。

 <酉(とり)>
不動明王(ふどうみょうおう)  縁日28日
怒りのお姿で教化しにくい者を導きその力でまよいの心を断ち切ってくださる。

 <戌(いぬ)・亥(い)>
阿弥陀如来(あみだにょらい)  縁日15日
極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる。

   Yogodo Hall
 Yogodo Hall was built in 1994 to commemorate the 1,200th anniversary of the birth of Ennin,the monk who established Senso-ji.Inside,statues of Bodhisattva Kannon, and of 12 protective Buddhas, each assigned to a particular year of the oriental zodiac cycle, are worshipped.

所在地 台東区浅草2-3-1 浅草寺  新奥山

  映画弁士塚 鳩山一郎書

 明治の中葉わが国に初めて映画が渡来するやこれを説明する弁士誕生 幾多の名人天才相次いで現れその人気は映画スターを凌ぎわが国文化の発展に光彩を添えたが 昭和初頭トーキー出現のため姿を消すに至った 茲に往年の名弁士の名を連ねこれを記念する

  建設省 大蔵貢

徳川夢声 樋口旭琅 熊岡天堂 原紫翠 国井紫香 谷天朗 泉天嶺 犬養一郎 大和春城 斎木嶺水 千代田鶯谷 加藤柳美 石田夢人 森鴎光 高村秀嶺 金子晴洋 染井三郎 静田錦波 松田春翠 生駒雷遊 津田秀水 加藤如洋 西村小楽天 木下紫楼 竹本嘯虎 高橋林風 細山夢眼 渋谷白涙 紫野柳晃 三木緑光 五十嵐狂虎 大友保 大原霜渓 大蔵正一 松井翠声 鈴木涛晃 石野馬城 西村楽天 玉井旭洋 高岡黒眼 林天風 大蔵忠孝 黒沢松声 加川栄一 松浦翠波 大辻司郎 清水雲山 石井春波 花井秀雄 伊原旭涛 東滔水 土屋松涛 山野一郎 内藤紫健 中川慶ニ
  建設省 大蔵貢
  賛助 大谷竹次郎

遠山霞洞 中村緑陰 余川天露 牧野周一 雲井天明 松平鶴声 武井秀輔 西澤紅美 河合華水 松本瓢遊 鈴木光太郎 高橋鶴童 茂木二郎 藤浪無鳴 守谷梅香 井口静波 渡辺遊声 福地悟朗 島田嶺月 中山生堂 島村春洋 松田快堂 神田楓晃 美津木春堂 梅村紫声 長田猛虎 岩田晃波 芳本涛華 浜野静波 月島光波 駒田好洋 高麗田桃緩 藤原狂夢 杉浦市郎 佐々木雀友 石原登美郎 細野暁風 島津天涛 須田貞朗 仙石雷渓 細川天流 花岡三八 細川春葉 桂一郎 奈美乃一郎 桜井狂葉 徳永天露 藤村緑郎 林旭風

 賛助
松竹株式会社 社長 城戸四郎
東宝株式会社 社長 清水雅
大映株式会社 社長 永田雅一
東映株式会社 社長 大川博
日活株式会社 社長 堀久作
新東宝株式会社 社長 大蔵貢

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

 河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は江戸末期から明治中期まで活躍した歌舞伎の狂言作者である。文化13年(1816)3月江戸日本橋通2丁目4代越前屋勘兵衛の長男として生まれ幼名を吉村芳三郎といった。
 
若い頃は遊楽生活を送ったが 20歳で狂言作者五世鶴屋南北に師事 はじめ二世河竹新七の名を継いだ 天保14年(1843)江戸三座が浅草猿若町に移転し終ると間もなく黙阿弥も芝からこの浅草の正智院の地内に居を移し 四世市川小団次に多くの新作世話物を書いた 明治維新後は九世市川団十郎 五世尾上菊五郎 初代市川左団次のために世話物 時代物のほか舞踏劇などを執筆した 明治14年(1881)古河黙阿弥と改名し その後も劇作を続けた 作者生活50年 著作は350余編 江戸歌舞伎後半期の第一人者の地位にあり 特に 世話物を得意とした その音楽的効果や味わいは黙阿弥調として知られる
 
代表作には「青砥稿花紅彩絵(あおとぞうしはなのにしきえ)(白浪五人男)」のほか「三人吉三廓初買(さんにんきちくるわのはつかい)(三人吉三)」 「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)(河内山)」などがある  明治26年(1893)1月歿 78歳
  昭和43年(1968)10月
    東京百年記念に台東区が建立する
       東京都台東区長 上條貢   

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

「濁流」の花道の師、笠翁斉乱鳥の死を悲しんだ弟子たちによって建てられた。
笠翁斉乱鳥は、享和3年(1803)7月晦日死去。
享年88歳。浅草本然寺(曹洞宗、現西浅草3-25-3)に埋葬。悲しんだ弟子たちが、瓶に花を挿したが、衰える花を惜んで地中に埋め塚とした。
戦後、昭和31年(1956)観音堂裏手東北より移転。
  建碑 文化元年(1804)3月17日

かめに花を挿こと古しへより聞え来れるを近き代には其花をさすにのろ有事と成り其流くさくさに分れぬ。
笠翁斉乱鳥其わざを好てこの大城のもとに濁流としなへて弟子あまた有き。こその文月つごもり、齢八十餘八にてみまかり給。浅草本然禅寺に葬ぬ。ことし3月17日、かの翁の親しき友垣に弟子の集りて、かめに花をさして手向つ。其花のなごりを空しくなさむ事を惜み、はた翁の名の朽さらん事をおもひて、浅草寺の大ひさのみ堂のうしろ清らなる所を撰て其花を埋めて花塚と名付て後の世に残しなんとす。彼弟子の中、平石氏乱雨翁え残されしほほに笠翁斉の名を残したれば人々共に計りて其事成ぬ其わきかいつけよとこはるるにいなひあへずして記つ。
  「文化元年七月千蔭」 浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

竹馬や いろはにほへと ちりぢりに
          久保田万太郎

 久保田万太郎句碑は昭和四十年(1965)建立。 久保田万太郎は明治22年(1887)11月7日此地に生まれ、市立浅草尋常小学校へ入学、府立三中に学び大正3年(1914)慶應義塾大学文科を卒業し、10月移転する迄の26年間浅草に在住した。 昭和38年(1963)5月6日永眠するまでの明治・大正・昭和の三代に亘り、常に下町の義理と人情を描写した小説、戯曲の作品多く、其他文学、演劇界に多大の功績を残した作家であった。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 新奥山

 円形の上部には曽我廼家五九郎(そがのやごくろう)の好きだった「群盲撫象」の文字と「ノンキな父さん」の像を描く。昭和38年(1963)建立。題字は大野伴睦筆。
 徳島県吉野川市鴨島 出身、「喜劇王」として浅草で活躍していた。映画「ノンキナトウサン(ノンキナトウサン役)」、「山賊(喜多八役)」、「八公(八百八役)」に主役で出演する。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

<碑正面>

観世音菩薩
南無阿弥陀仏
大勢至菩薩

文政6年(1823)建立。上野屏風坂下の鹿島屋平兵衛の奉献。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

初代花柳寿輔句碑(初代花柳壽輔句碑

雷は 田町をよけて 鳴りわたる

初代 花柳壽輔 略傳
<出生> 文化4年2月19日、芝・新明にて出生

<6才> 文政9年、四世西川扇藏の許に入門し舞踊修業の道に入る。

<8才> 文政11年、七世市川団十郎の鑑識に叶い市川鯉吉の芸名にて舞台を踏む。

<19才> 天保10年(1839)、旧師西川扇藏の許に復帰し、西川芳次郎として振袖師の第一歩を踏み出す。

<25才> 吉原の玉屋小三郎より俳号の「花柳」なるの二字を与えられ、以後花柳芳次郎と稱す。爾後、七世市川団十郎が嘉永2年(1849)、当時市川海老藏を名乗り、その俳名「寿海」に因みて「壽」の字を贈られ、29才にして初めて花柳壽助を名乗り、後に「助」を「輔」に改め、と共に、諸流に冠絶して振付の第一人者として謳はれる事、実に半世紀。その作品は一千五百種を超え、就中「土蜘」 「茨木」「戻橋」「舟辯慶」の如きは不滅の傑作と讃られる。

<83才> 明治36年(1903)1月28日、花柳流の祖としての偉業を樹て、門弟、縁者に見守られ其の生涯を終わる。
  
浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

翁の文字 まだ身にそはず 衣がえ 
                     猿翁

建碑  昭和42年(1967)5月17日
撰文  市川猿翁

孫団子に三代目猿之助を譲り、自らは猿翁を襲名。
昭和38年(1963)5月、歌舞伎座に於て襲名興行。
浅草寺の襲名お練りは4月16日)
『猿翁』(昭和39年(1964)6月東京書房刊)には、「翁の文字まだ身にそはず 衣がへ 猿翁 昭和37年(1962)5月 猿翁襲名のとき」とある。
明治21年(1888)5月10日、浅草千束町2丁目に生れる。
父、喜熨斗亀次郎(初代市川猿之助ー段四郎)、母古登の長男。(弟妹は十人)兵役を終えたのち明治43年(1930)10月(22才)で二代目市川猿之助を襲名。
昭和38年(1963)6月聖路加病院(心不全)にて死去。享年75才。
昭和36年(1961)3月28日浅草3丁目39番地に生家に因みて「猿之助横丁碑」を建てる。
  
浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

女房も 同じ氏子や 除夜詣
               吉右衛門

建碑 昭和28年(1953)4月21日

 初代中村吉右衛門
 歌舞伎俳優
 日本芸術院会員
 文化勲章受賞

 明治19年(1886)3月24日 浅草象潟町に生まれ 幼少から舞台に立って名声を得 長じて大成し 大正・昭和期を代表する歌舞伎俳優となった
 高浜虚子に師事して「ホトトギス」の同人となり 句集も三冊に及ぶ 初め秀山と号したが 後に吉右衛門の名前を用いた
 妻千代もまた浅草の生まれ この句の由緒である 昭和14年(1939)冬の作 この碑は自詠自筆である
 実名  波野辰次郎
昭和29年(1954)9月5日没 享年68
                  浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

『 粧(よそおい)太夫碑
{蕋雲(ずいうん)女史書の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)}歌碑 』
         

 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
         島かくれゆく 船をしぞ思う


 有名な万葉歌人柿本人麻呂の和歌を万葉仮名で刻んだもので、骨太な文字を認めたのは、碑文にあるように蕋雲女史である。
 蕋雲は文化年間(1804~1817)、遊里新吉原の半松楼に抱えられていた遊女で、源氏名を粧太夫といい、、その号である。粧太夫として当時の錦絵にも描かれており、書を中山敬義に学び、和歌もたしなむ教養ある女性で江戸時代の代表的な文人、亀田鵬斎から蕋雲の号を送られたほどの人物であった。
 この歌碑は人麻呂を慕う太夫が、文化13年(1816)8月、人丸社に献納したものである。人丸社は幕末の絵図によると、三社権現(現在の浅草神社)の裏手にあったが、明治維新後に廃され、碑のみが被官稲荷神社のかたわらに移され、昭和29年(1954)11月、現在地に移された。
 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会

         MONUMENT TO YOSO-OITAYU
 (In memory of K.N.H Miss Zuiun,using calligraphy inscribed one of his Waka poems on this monument).

Honobonoto Akasi no ura no asagiri ni sima kakureyuku hune wo sizo omou

 The famous Man-yo poet,Kakinomoto no HItomaro inscribed this poem in ancient Japanese phonetic characters(Man-yo-gana) using the calligraphy of Miss Zuiun,an intellectual of that period.
 She was a courtesan and called Yoso-oi Tayu.Zuiun was her pen name.She was an excellent calligraphist,Waka poetess,and a caltured woman,sho was often depicted in coloured woodblock prints.
 This monument was offered to Hitomaro-sha(a shrine to worship Kakinomoto no Hitomaro) in August of 1816 by Yoso-oi Tayu who adored Hitomaro.The shrine was destoroyed after the Meiji Restorarion,except for this monument which ws moved have in November of 1954.

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

  神木『槐(えんじゅ)』の木の由来
 槐(えんじゅ)は中国原産のマメ科の落葉喬木で、葉は藤に似て、夏、黄白色の花をつけ、高さ10mに及ぶ。古来中国では宮廷の庭に3本の槐を植え三公のつく位置を示したといわれる通り、高貴の木として珍重された樹木である。
 浅草寺のご本尊の聖観音菩薩は推古天皇36年(628)3月18日、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の二兄弟によって網得され川辺の槐の木の切株に安置されたが、その主、土師仲知(はじなかとも)の教導により、三人共々深く観世音に帰依し、草堂を結び自邸を寺にかえたのが浅草寺の始まりと伝えられている。その後この三人が浅草観音示現の功労者として、三社権現の尊称を奉られ、神として祭祀されたが、これが当浅草神社であるから、槐は浅草寺にとっても当社にとっても非常に因縁の深い木である。
 その故か、当境内には槐の木が自生し、枯れては生え、枯れては生え、連綿として絶える事がない。まことに不思議な縁を感じさせる木である。
 昭和62年(1987)9月 浅草神社奉賛会 浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 この針供養之搭は、大東京和服裁縫教師会が50周年記念事業として発願し、全国和裁団体連合会の御協賛と裁縫をたしなまれる多くの方々の御助勢とにより、昭和57年(1982)10月17日に建立されました。

 省みますれば昭和10年(1935)2月8日「折れ針」への感謝と裁縫関係者にお呼びかけし、古来の伝承に従い浅草寺淡島様の御宝前で、供養の法会を営ませて頂いてより、次第に同じ志の方々が増え都内をはじめ近県からも「折れ針」を持って参詣され、懇ろに御供養なさる方々が、年々多くなりつつありますことは報恩の美風を善く世に伝へるためにも誠に有難く喜びに堪えません。
 大東京和服裁縫教師会・針供養之搭保存会会長  鈴木昇造
 針供養之搭担当責任者  山崎章司

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

東京都指定有形文化財(歴史資料)
西仏板碑
指定 昭和17年(1942)9月 旧跡
    
昭和56年(1981)3月12日 種別変更⇒歴史資料

 建立者の西仏(さいぶつ)については明らかではないが、この板碑(いたび)は彼が妻子の後世安楽を祈って建立したものと推測される。建立の年代も不詳であるが、鎌倉末から室町初期かと思われる。
 
上部が破損しているが、製作時には3m近くあったものと思われる。寛保2年(1742)暴風雨によって倒れ破損、文化11年(1814)に有志が側柱を立てて支えたという。材質は秩父粘板岩(青石)。
 
現存の板碑の大きさは高さ217.9cm、幅48.0cm、厚さ4.7cm。
 
中世の信仰を知るうえで貴重な遺品であり、かつ巨大板碑の典型例である。
  
平成8年3月25日建設 東京都教育委員会

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺  新奥山

  日本の創作舞踊の創始者石井漠
 
明治19年(1886)秋田に生まれ昭和37年(1962)1月7日に昇天するまで、近代バレエの創造、浅草オペラの旗揚げ、300数曲の創作舞踊など、芸術活動は誠に偉大でありました。舞踊生活50年の山坂道を失明にあえぎながら登りつめた不滅の魂を記念するために、実妹栄子と共に踊った「山を登る」の姿を碑に刻み石井漠を愛した多くの人々や八重子未亡人の哀悼の念を永久に伝えようとするものです。

題字  谷崎潤一郎
設計  谷口吉郎
彫刻  舟越保武
施工  清水建設
  昭和38年(1963)4月8日

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社

 川口松太郎ハ明治三十二年十月一日浅草今戸ニ生レル 昭和十年第一回直木賞受賞ノ「鶴八鶴次郎」ヲ初メトシテ小説脚本ニ名作多ク文壇劇壇ニ多大ナ足跡シルス 特ニ新派俳優花柳章太郎水谷八重子等ニヨッテ演ジラレタ情緒豊カナ諸作品ハ観客ヲ魅了ス 這般ノ功績ニヨリ三十八年菊池寛賞受賞 四十年芸術院会員 更ニ四十四年「しぐれ茶屋おりく」ノ一篇ニヨリ吉川英治文学賞受賞 四十八年文化功労者ニ叙せられる 最晩年渾身ノ筆デ連載小説「一休さんの門」ヲ脱稿後昭和六十年六月九日永眠ス 行年八十五才 三回忌ニ因ミ故人ノ終世ノ師久保田万太郎ノ傍ラニ同ジク句碑ヲ建テテ這者ヲ偲ブ

    生きると いうこと

      むずかしき 夜寒かな

 昭和六十二年六月九日

      松竹株式会社 

      文芸春秋社  

      劇団新派

      講談社  

      明治座   

      読売新聞社

                  浅草観光連盟

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺 浅草神社) 

扇塚は使い終わった扇を供養する塚である。

  <古扇  納め箱>
わたくし達日本舞踊を志すものにとりまして扇は欠くことの出来ない品でございます。使い古された扇はどうぞこの箱にお納め下さい。毎年四月八日にご祈祷の上、扇に感謝のご供養を致します。
  
花柳流花柳会



所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

 沙竭羅龍王像(銅造) 原型は高村光雲仏師、鋳造は津田信夫。明治36年(1961)東京市が境内の噴水池に造献したものだ。

 

所在地 台東区浅草2-3-1

聖観音宗 総本山
 金龍山 浅草寺せんそうじ


 推古天皇36年(628年)、桧前の浜成・竹成兄弟は隅田川で浅草観音の像(浅草寺の本尊)を網で拾い上げた人物、真中知はその像を安置して浅草寺(せんそうじ)を創建したと伝えられる。

 

 浅草寺域内には次のものがあります。
雷門』、『五重塔』、『影向堂』、『沙竭羅龍王像とお水屋』、『九代目市川団十郎「暫」の像』、『六角堂』、『鳩ポッポの歌碑』、『二天門』、『手水鉢』、『銭塚地蔵堂』、『阿弥陀如来像』、『三尊名号の碑』、『銅造宝篋印塔』、『淡島堂』、『時の鐘』、『讃慈雲の泉』、『銅像阿弥陀如来坐像』、『宝蔵門』、『大わらじ』、『一葉観音』、『弁天堂』、『二尊仏』、『久米平内堂』、『針供養之塔』、『西仏板碑』、『老挙の句碑』、『扇塚』、『松尾芭蕉の句碑』、『添田唖蝉坊碑・添田知道筆塚』、『恵比寿神・大黒天』、『九頭龍権現』、『平和地蔵尊』、『母子地蔵』、『めぐみ地蔵』、『一言不動尊』、『金龍権現』、『橋本薬師堂』、『耕元先生碑』、『六地蔵石憧』、『迷子しるべ石』、『初代並木五瓶句碑』、『聖観音菩薩像(千日参供養仏)』、『普閑の歌碑』、『都々逸塚』、『竹本津賀太夫碑』、『胎内くぐりの灯籠』、『銭塚弁財天』、『戦災供養地蔵尊』、『川口松太郎句碑』、『石橋』、『耕元先生碑』、『荒神堂』、『菅沼定敬歌碑』、『商徳地蔵尊』、『写経供養塔』、『消防殉難碑』、『子育地蔵尊』、『三峰神社』、『針供養塔』、『正観世音菩薩碑』、『出世地蔵尊』、『被官稲荷神社』、『山東京伝机塚の碑』、『大谷米太郎夫妻像』、『浅草大平和塔』、『宮古路太夫墓』、『仏頂尊勝陀羅尼碑』、『平和の時計』、

新奥山
 新奥山域内には『映画弁士塚』、『石井漠「山を登る」記念碑』、『喜劇人の碑』、『浅草観光纉緒の碑』、『曽我廼家五九郎顕彰碑』、『瓜生岩子女子の銅像』、『一葉観音像』、『五瀬植松碑』、『高橋石斎碑』、『三十六歌人碑』、『正岡子規句碑』、『瀧沢世古碑』、『半七塚』、『福地桜痴紀功碑』、『力石』、『会田先生算子塚』、『三匠句碑』、『戸田茂睡墓』があります。

浅草神社
 浅草神社域内には『河竹黙阿弥顕彰碑』、『久保田万太郎句碑』、『初代花柳壽輔句碑』、『初代市川猿翁句碑』、『初代中村吉右衛門句碑』、『粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)』、『花柳寿輔碑』、『扇塚』、『神木『槐』の木』、『川口松太郎句碑』、『花塚』、『『友情はいつも宝物』碑』、『檜前の馬牧』があります。

鎮護堂
 鎮護堂域内には『封間塚』、『手水鉢』、『水子地蔵尊』、『鎮護堂の神木・公孫樹』があります。


伝法院
 
伝法院域内には『天祐庵』、『石棺』、『至徳の古鐘』、『岩本乾什句碑』、『谷口楼川句碑』、『心字池』があります。

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

東京都指定有形文化財(建造物)
 浅草寺六角堂 一棟

     昭和27年(1952)11月3日指定

 
六角堂は『浅草寺誌』(文化十年編)に元和4年(1618)の建立とあり、江戸時代初期の建立と考えられ、浅草寺内で最古の遺構である。
 
木造で単層の六角造り瓦(かわら)ぶき形式で、建物中央の直径は1.82mあり、一面の柱真々は0.91mである。
 
建物の基礎は、六角形状に廻(まわ)した土台を布石の基礎で支え、その下部に11段の石積みをした1.5m余りの井戸上の穴が掘られている。
 
六角堂という特異な形式であり、都内においては遺例の少ない建造物で、貴重な文化財である。
 
もとは東方21.8mの場所{現・影向堂(ようごうどう)の南基壇上に元位置の表示あり}に建っていたが、平成6年(1994)10月境内整備のためにここに移された。
※東京都文化財保護条例(昭和51年(1976)3月31日改正)により文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更したので、石造標識については、このように読み替えてください。
  
平成8年(1996)3月25日 東京都教育委員会

       Senso-ji-Rokkakudo
 Wooden structure,One-story,Hexagonal style,Litht weight tile roofing (a pantile that combines vroad concave tiles and semi-cylindrical convex yilrd),Lacquered in red,1.82m inner deameter,0.91m seide length (destance between pillar centres)

According to Senso-ji-Shi (chronicle of 1813 edition),Senso-ji-Rokkendo was built in 1618 and is therefore the oldest architecture in Senso-ji.This building is valuable since hexagonal architevtures are rare in Tokyo.It was originally located 21.8m further east (the original locatio is inscribed on the south podium of Yougou-go),but moved to its current position in October 1994 due to rearrangement.

   日限地蔵尊
 六角堂のご本尊。
 地蔵菩薩さまは、慈悲のお心で、この娑婆世界だけでなく地獄や餓鬼道にもおもむき、衆生を救われる仏さま。
 特にこの日限地蔵尊は、何かのお願い事に対し、日数を定めて祈願すれば、古来より霊験があるとされる。
 造立年代は不明。木造。  金龍山 浅草寺

所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)

「社殿」 重要文化財

「柏板(びんざさら)」 都指定無形民俗文化財

<御祭神>

土師真中知命(はじのまつちのみこと)

桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)

桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)

東照宮(権現様、徳川家康)

  

 推古天皇36年(628)、桧前の浜成・竹成兄弟は隅田川で浅草観音の像(浅草寺の本尊)を網で拾い上げた人物、真中知はその像を安置して浅草寺(せんそうじ)を創建したと伝えられる。土師真中知命(はじのまつちのみこと)・桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)の三神を祀る神社であるから、「三社様」と呼ばれた。鎮座年代は不詳。鎌倉時代末期には祭礼が行われたという記録がある。東照宮は権現様すなわち徳川家康のことで、慶安2年(1649)に合祀された。以来、三社大権現といい、明治元年(1868)三社明神、明治6年(1873)浅草神社(あさくさじんじゃ)と改称した。
 
慶安2年(1649)に完成した現在の社殿は、徳川家光が再建したもの。建築様式は、本殿と幣殿とは接続しているが、幣殿と拝殿とは分離し、その間に渡廊下「石の間」(弊殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造となっている。朱漆仕上げで、本殿と幣殿の内法長押以上は極彩色である。この社殿は江戸時代初期の代表的権現造として評価が高く、国の重要文化財の指定に指定されている。
 
毎年5月17・18両日の大祭は、江戸時代から「三社祭」と呼ばれ、特に第三日曜には、本社神輿の宮出し・宮入りがあり、氏子町内の百基余の町神輿も集り、拝殿では都指定無形民俗文化財「柏板(びんざさら)」の奏演という神事舞も行われ、人々が群集し、賑やかである。
  
台東区教育委員会


 浅草神社境内には『河竹黙阿弥顕彰碑』、『久保田万太郎句碑』、『初代花柳壽輔句碑』、『初代市川猿翁句碑』、『初代中村吉右衛門句碑』、『粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)』、『扇塚』、『神木『槐』の木』、『川口松太郎句碑』、『花塚』、『『友情はいつも宝物』碑』、『檜前の馬牧』があります。

所在地 台東区浅草2-3-1 浅草寺  新奥山

 浅草はかつて、日本のブロードウェイと呼ばれ華やかな街でした。「喜劇人の碑」は人々に笑いと喜びを与えてくれた喜劇人たちに感謝の意を表し昭和57年(1982)建立されました。碑裏面には喜劇人の名前が刻まれています。題字は森繁久彌。


川田晴久 昭和32年6月21日(51才) 
古川ロッパ 昭和36年1月16日(57才)
八波むと志 昭和59年1月9日(38才)
清水金一(シミキン) 昭和41年10月10日(54才)
堺駿二 昭和43年8月10日(54才)
榎本健一(エノケン) 昭和45年1月7日(65才)
山茶花究 昭和46年3月4日(56才)
森川信 昭和47年3月26日(60才)
柳家金語楼 昭和47年10月22日(71才)
木戸新太郎 昭和49年8月19日(59才)
大宮デン助 昭和51年12月23日(63才)
勲四等 伴淳三郎 昭和56年10月26日(73才)
三波伸介 昭和57年12月8日(52才)
佐山俊二 昭和59年1月30日(65才)
武智豊子 昭和60年7月18日(76才)
トニー谷 昭和62年7月16日(69才)
有島一郎 昭和62年7月20日(71才)
東八郎 昭和63年7月6日(52才)
南利明 平成7年1月13日(70才)
益田喜頓 平成5年12月1日(84才)
国民栄誉賞 渥美清 平成8年8月4日(68才)
勲四等 三木のり平 平成11年1月25日(74才)
勲四等 曾我廼家明蝶 平成11年4月13日(90才)
勲四等 由利徹 平成11年5月20日(78才)
勲四等 ミヤコ蝶々 平成12年10月12日(80才)
勲四等 清川虹子 平成14年5月24日(89才)
関敬六 平成18年8月23日(78才)
谷幹一 平成19年6月25日(74才)
国民栄誉賞 森繁久彌 平成21年11月10日(96才)

  建立世話人代表
佐野一郎 野田洋典 山本紫明

  建立記念碑 協力芸能人(順不同)
曾我廼家明蝶 コロンビア・トップ 菅原文太 黒沢年男 玉置宏 川津清三郎 志摩夕起夫 小桜京子 木田三千雄 原一平 由利徹 宮城千賀子 北上弥太朗 柳澤真一 コロンビア・ライト 赤木春恵 三崎千恵子 清川虹子 南利明 たこはちろう ハナ太郎 大屋満 大泉滉 宮島一茶 宮田章司 南道郎 徳武忠吉 小野田貝 玉川昭二 岡崎二朗
ふじやま竜 関敬六 十勝花子 サトウサブロウ 冠般流川田琉球舞踊団 二代目引田天功朝風まり 松旭斉八重子 松旭斉美江子 小宮スポーツ 長沢純 日高一也 川中美幸 加山麗子 東映剣会 敏いとうとハッピー&ブルー 大塚文雄 平林健二と東京パンチョス 東京ニュースカイオーケストラ 花笠音頭協議会 小野満 干草かほる 榎本ちえ子



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